松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

落城

『人は城、人は石垣、人は堀』

戦国時代の名将・武田信玄の名言である。

無論、これは比喩である。決して壁の組成が巨人とかそういう話ではない。

この名言は、"城を構成する最も重要な要素は人である"ということを意味している。

良い人が集まることで、城は機能を果たし、国は機能を果たす。

その点、自分の城には自分一人しかいない。人は城というか人=城みたいな感じで、自分がダウンすることは即ち落城を意味する。

今回は、書こうと何度も思い立っては、先延ばしにしてきた、半年前に起きた落城の話を書こうと思う。

 

落城の様子は、このブログの記事として複数残っている。

"悪魔の証明"で、落城が始まった。

 

matsumaehansyu.hatenablog.com

そして"無能という不治の病"から"真なる断罪に向けた最初の一歩"にかけて、落城の様子が詳細に描かれ、"史上最も苦いバレンタイン"で部分的ではあるが持ち直した様子が記されている。

 

matsumaehansyu.hatenablog.com

これらの記事は当時の感情を前面に出して書いていたため、一旦これらの記事を、未公開情報と抱き合わせながら冷静に整理してまとめるという総集編のようなものを作ろうと考えて、前座2本も書いておきながら、今度は過労死マラソンシリーズを始めてしまった。

会社に入って3か月が経ち、ようやく生活が安定し、3連休で時間もできたいま、改めて当時を振り返ろうと思う。

 

まあ"悪魔の証明"を読むだけでおよそ見当はつくと思うのですが、

やはりうつ病、ということでした。

正確にはうつ状態、という感じでしょうか。臨床心理学的には、うつ病ではないという扱いです。

うつ病の要件には、2週間以上の継続性が挙げられます。

奇しくも自分が心理学の課題で調べた知識が、こんな形で活かされるとは考えていませんでした。当時の自分は、未来の自分に向けて手を差し伸べてくれたのでしょうか。

この継続性を、自分は満たしませんでした。症状自体はほとんどうつ病で確定ですが、ギリギリのところでまだ正気を保っていたところと、2週間の実家療養を経て症状の多くがある程度寛解したことから、結果としてうつ病ではないという診断結果が下りました。

 

しかし、社会復帰にはまだ早すぎました。

"史上最も苦いバレンタイン"の最後に書いたように、

健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの意欲"が回復した"いう意味であって、"研究室に行く意欲"は回復していない。

史上最も苦いバレンタイン - 松前藩主の黒色Diary

からでした。

メンタルクリニックでは、前者の意欲が回復しました。では後者の意欲は、どこで回復したのでしょうか?

その答えは、先ほど出てきた"心理学の課題"の授業を担当していた、心理学の先生です。

 

その先生は目に見えて優秀で、40代で既に教授になっていました。しかも今は子育てと並行して研究活動をしており、恐らく多忙の極みだったと思います。

その中でも、自分と二度にわたり、それぞれ1時間半も対談してくれた、間違いなく恩師の一人です。

その対談の中で出てきた話が、まさに"落城"の話だったのです。

 

最初に言葉の定義をすると、ここでいう城というのは、広く言えば自分の心、もっと言うと心の中にある哲学や思想体系のようなものです。ただ、これらは概念的で掴みどころがないため、先生はこれを城と表現した、と思います。

言うなれば今回の出来事は、まさに城が崩れ落ちたという話でした。

 

最初に城を作ったのは、高校から浪人あたりの頃でしょうか。

中学までは、悲しいことに自分の生き方みたいなものを考察するほど、頭は良くありませんでした。その頃は教科の中では社会が好きだったので、よく社会について考えていたと思います。案の定周囲の環境に溶け込めず、いじめられていた身としては、社会の行く末を予想して、それにいち早く適応することのほうが、よほど重要なことでした。

しかし、高2の時にあるアニメ(たち)を見てから、人生観が一変します。

「泣いてる君こそ 孤独な君こそ正しいよ 人間らしいよ」

自分の人生観に影響を与えたアニメの劇中歌の歌詞です。

何となく周囲に、環境に、社会に溶け込むことが、正しい生き方だと勘違いしていた。

そうやって彼らに迎合する人生は、本当に楽しいのか?

実体のない仲間意識に縛られ、本来何の効力も持たないはずの仲間内の暗黙の了解から少しでも逸脱すると、簡単に仲間外れにされる。

そんな共同体に身を置き、仲間規則に忠実に則って、自我をなくして生きている彼らは、正しいと言えるのか?

そんなことはないはずだ。

むしろ一人で、一人きりで社会に対して真っ向からぶつかって、返り討ちに遭って、泣いてるような奴こそが、人間らしく生きているんじゃないのか?

 

考え方が、ある意味で集団の内側から外側へと変化したことで、主観的な世界の捉え方が一変しました。

仲間規則を理解するのではなく、社会や世界の真理を理解すべきだと思い、その探索を始めました。

そうして集めた真理を積み上げて、最初の城が完成しました。

 

そうして世界理解に努めていましたが、そこには一つの大きな要素が欠けていました。

それが、仲間集団の理解です。

もちろん、外側から観察して、同じ利害関係にあるとか、同じ趣味嗜好を持つとか、あるいは学校の教室のように、外部要因でしかたなく一つの箱に押し込められているとか、そういう観察はできます。

しかし、その内側に身を置くことはしていませんでした。

どうせ内側に入っても、仲間規則に縛られるか、異質なものとして排除される未来しか、想像できなかったからです。

そんな自分が、久しぶりにこの共同体なら入っても良いと思えるものに出会いました。

 

それが研究室でした。

そう思えた理由は省略しますが、一言でいうと、自分と近い境遇に見えたからです。

世界の片隅で、誰にも目を向けられることもない学問を細々と行って、競争とは無縁の場所で世界理解に努めているような研究室にいる人たちであれば、根本的に何かを共有できるという期待を持ちました。

そして、願わくばその共同体の維持発展に役立ちたい。そんな思いから、数年ぶりに積極的に共同体に参画することを選びました。

 

しかし、ここで自らが打ち立てた城を振り返ってみると、共同体の外側だけを理解するために作られた城であったため、共同体の内側に対しては滅法融通が利かないのです。

つまるところ、自分の城の最大の弱点を、自ら突くという愚行を犯していたのです。

そんな日々を積み重ねて、最後に城は陥落することになりました。

理性と感情が矛盾し、ごちゃ混ぜになり、カオスになり、その中から真理と思わしき最大公約数を取ったところ、どうやら死んだ方が良いという結論でした。

まあ今でもこの結論は、究極的には正しいと思っていますが。

 

その結論を実行する寸前で踏みとどまれた原因は、意外にもとあるYouTubeの動画でした。


www.youtube.com

"恋愛だよ友愛だよって言うと、「俺にはそれはできない」みたいになっちゃう奴が出てくる。それは残念だけれども、「自分が色んな能力を持たなきゃいけない」と思ってるからだよ。そんな共同体って無いよもともと。僕の言い方だと凸と凹の組み合わせなんだよ。(中略)できるやつとできないやつ、それが凸と凹の組み合わせになって集団パフォーマンスを上げられればいいだけでしょう。これは仲間を作れとか家族を作れっていうときにも全部当てはまるんです。"

 

自分の犯した過ちをこうも的確に言語化され、しかも処方箋まで提示されたとなると、それを試してみてから考えてもいいんじゃないかと思うようになり、最もしんどい時期を乗り越えました。いつだって自分を助けてくれるのは自分だけであり、自分を変えてくれるのは誰かの存在ではなく、アニメとか動画でしかないというのが自分の人生の薄っぺらさを強調しますね。

そう言えば、同じ動画の中で、

"自分が困ると、助けてくれるやつがいるかいないか分かります。その時助けてくれるやつはいます。だったらそいつと友達になれば良いんですよ。"

と言われていましたので、どうやら自分には友達がいないことが証明されてしまいました。それなりにプレゼンスを発揮したはずの研究室という共同体の中で、自分を助けようとしてくれたのは教授ただ一人だけでした。

 

まあ自分に友達がいないという事実は自分の中では理解していたので、特に何とも思いません。そんなことより大事なのは、共同体がどう形成されてるかを、一つの言説ではありますが理解することができたことでした。

そのかすかな希望の光を頼りにして、少しずつ社会復帰していきました。

そして最後に、心理学の先生の目の前で、自分の崩れ落ちた城を見てもらうことになりました。

 

自分は最初、城を修理することを考えていました。もはや今の自分には、それなしでは生きていけないと考えていたからです。

しかし先生が提示したのは、"穴を急いで塞がない"選択肢でした。

城に穴が開いた状態で、しばらく生きてみてはどうか。

想像もできない答えでした。落城したまま放置する城主なんて、いるわけもありません。

しかし先生は、"まず自分の城を持っているだけで偉くて、他の人はそもそも持っていなかったり、もっとみっともないんですよ。だから穴が開いたまま行っても大丈夫。そのせいで誰かを傷つけたのなら、開き直ってお菓子でもあげながら謝れば良い。急いで穴を塞いでも、また同じ場所に穴が開くんじゃない?"

その通りだった。一度完成したはずの綺麗な城を、もう一度復元したいという思いが先行して、その構造上の欠陥まで目を向けられていなかった。

しかも人生と言うのは、綺麗な城のようなものになることは到底なくて、だいたい増改築を繰り返して変な構造になっているものだ。

だから、綺麗な城を復元すること自体がナンセンスで、時代に合わせてアップデートしたり、あるいは誰かの城を見に行って、別の設計図を入手して切り替えていくのも良いんじゃないか。それが合わなければまた変えればよい。そうして最適化していけば良い。

 

そんな考えの下、最近はすぐに何かを判断したりせず、一度取り込んでみる、という選択をよくしています。何かに誘われたら、すぐには断らず、どちらかと言えば一度参画して、判断するようにしています。まあ誰かも何も誘われないので、結果的には以前と似た感じになってきていますが。

誰か一人くらい、お互いに城を見せあうことができるような人がいてくれれば良かったのですが。残念ながら友達すらいないので、どうにもなりません。

おまけに中学の時に、随一の親友に突然別れを告げられたトラウマも抱えているので、自分の中に設けられているハードルも高く、なかなか難しい状況です。

結局、以前と同じ城に改修工事を施しただけで終わる可能性もありますが、とりあえずしばらくは、ある程度の柔軟性を持たせて生きていこうと思います。

 

これが、前座2本も書いてまで書きたかった本題の話です。

こうして見ると、随分と薄っぺらいものですね。

そんなところで、このブログもそろそろ限界な気がしてきました。

畳むことはあまり考えていませんが、またしばらく寝かせる日々が続きそうです。

それではみなさんおやすみなさい。

過労死マラソン第4コーナー

全てがルーティンに取り込まれ、予測可能性の中で背景と同化する。

そうして毎日、休憩時間と行き帰りの電車やバスの中で、無料マンガを読むか無料ソシャゲをプレイすることだけが、ほんのわずかな楽しみとなる。

スーツを着た白髪のおじさんが、耳にイヤホンをしながらリゼロを読んでいる様を見ると、未来の自分の姿がそこにはあるような気がした。

 

3日、本配属初日。とあるセクションに配属されたのだが、新入社員の案件はまだ決まっていないらしい。だが午前中にTLと面談したら、すぐに案件が決定した。面談の意味はあまりなくて、もう既にある程度決まっていたのでは?

 

4日の午前まで、全案件の説明と現状を聞いた上で、午後からはOJT開始。といっても書類仕事と、立てていただいた計画を聞いて理解するだけで終わってしまった。本格的な仕事は明日からだ。ちなみに内容は、半狂乱の彼と共に取り組んだ内容に近い。自分との戦いという点では相性は良いが、とんでもなく集中力を削るので、毎日の疲労が半端なさそうだ。

 

5日は進捗ゼロ。期待されているのか見放されているのか分からないが、既に放置プレイなので、随分と気が楽だ。それはともかく新入社員の自分でも毎日何通もメールが来るのはなぜ。これで役職者にでもなろうものなら、メール対応だけで半日潰れるまである。やはり偉くなってはいけない。でもメールに返しているだけで給料が貰えるなら良いのか。

過去の過労死マラソンを見返していたら、5月に「他人と積極的に関わろう」と決意したのに、6月には「飲み会に出ても何も価値を提供できない」とか言い出していることに気付いて、思わず笑ってしまった。まさにこのブログが目指している、心のハリの消失の観察が、いまここにあった。

 

7日、社会人になって初めての有給取得。と言っても、公的機関を巡る日なので、とても休みとは言えない。結構カツカツなスケジュールを組んでしまったので、いつもより疲れるまである。

……と、完璧な計画を立てたのだが、マイナポータルの転出届の受理が一向にされずに、数分に一回ページを更新しては、処理中ですの文字に腹を立てる結果となった。マイナポータルでの転出届は3日前に出すことを知らなかった自分も悪いのだが、なぜ数分もかからずに終了する手続きに3日も要するのか、訳が分からなかった。単にデジタル化すればそれでよいと、何か勘違いをしていないか?DXの目的を見失った酷い有様を見せつけられ、今年上半期で最も腹を立てるイベントとなったが、同期に相談したところ、処理中でも行けるという話を聞いて、市役所が閉まる一時間前にダメもとで行ったら、何と転入手続きは滞りなく終了した。同期のおかげで、人生最初の有給休暇に意味を持たせることができた。転入届以外のスケジュールは全て達成されなかったが、後は土日やお盆の時期でも使って、ゆっくり変えていけば良い。

 

そういえば、GW以降初めての3連休だった。そのGWは、引っ越しで潰れてしまったので、実質的に社会人初めての連休だった。先に述べたように、金曜日のスケジュールは崩壊したので、ほとんど動かない3連休だった。

そうして気付いたのは、今までどれだけ心に余裕がない状態で生きていたか、ということだった。

何かにせき立てられるように、生き急いでいた。それこそ、金曜のスケジュールもそうだと思う。何も、全てを1日で終わらせる必要などなかったのだ。

 

ルーチン化激しい12日。いよいよこなれてきたものだと思っていたら、多忙極まりないはずのTLが、突然自分のところへやってきた。

「とある噂話を聞いたのだが、君たちはよく雑談というか、ゲームの話をしているんだって?」

なるほどね。見事に大人の対応をされた。

恐らく情報提供者は予想がつく。その人は、自ら怒ることはせず、上長に報告して叱ってもらう方法を選んだわけだ。こうすれば、情報提供者は、生意気な新入社員を、自らのイメージを汚すことなく粛清できる。何も失うものはない。

良い勉強の機会となった。

 

13日、お昼に研修で面識のある先輩とご飯を食べた。ちゃんと先輩も仕事したくないと思っていて安心した。

 

14日、3連休前最後の平日。心なしか気分が上がると思いきや、その朝は焦燥感と共に始まった。

アラームをかけ忘れていた。

起きた時間は、まだ遅刻せず間に合う時間だったのが救いだが、もしこのまま寝過ごしていたらと思うと、恐ろしいものだ。

 

15日は、散髪ののち車の運転練習。連休明けから車通勤で、立体駐車場だ。駐車が苦手な自分にはなかなかのハードルだ。

試しに、近くの道の駅に向かってみた。小さいながらも魅力のある道の駅だった。野菜が安かった。

 

18日は車通勤一日目。会社の駐車場に駐車しようとしたら、車が半身分ずれていて、車止めをすり抜けてフェンスに当たってしまった。幸いバック中だったので大きな傷はないが、初日から不安を感じる通勤となった。

 

19日は、初めての残業。どういうわけか、新入社員は9月まで残業が禁止されているが、今回はセミナーの開始時間の関係上、特例で残業が許可された。

20時半に会社を出て、同僚を駅まで送る道中は、街灯が一つもなく、しかもライトを点灯すると地面のあたりにもやのようなものまで発生していて、何かアトラクションにでも乗っている気分だった。自分のヘタクソな運転が、更にアトラクション感を演出していた。帰り道が暗すぎて危ないという観点から、これはあまり残業してはいけないと思った。

 

25日、7月に配属されてからというものの、ひたすらサンプル作成のみしていた日々が終わる……と思いきや、最後のステップでサンプルがダメになった。

さすがに少し心に来たので、残業時間を削る形で、フレックスで早退し、久しぶりに店に行こうと思って店の前まで行ったら定休日だった。踏んだり蹴ったりである。

 

26日、ようやく1か月かかったサンプル作成が終わった。つまるところ、この1か月間ほぼ何の成果も生み出さないまま、ご飯を食べていたということになる。飯がうまい。

 

車通勤を開始したおかげで、このブログを書く時間がなくなってしまった。以前は、電車の中やバスを待つ時間で書けたのだが。週末まで来ると都合よく一週間の内容を忘れているもので、書く内容もない。

よってこのシリーズは7月で終わることになる。気が向いたら番外編でも書こうと思います。

過労死マラソン第3コーナー

5月の終わりにも書いたことだが、個人の能力であったり、労働生産性と給料は実はあまり比例しない。

つまり、簡単に言えばサボったほうがお得なのである。

仕事は仕事と割り切って、お金を稼ぐための手段でしかなく、何ならお金を稼ぐことも手段でしかないので、仕事なんてものは手段のための手段でしかないのだ。そこに熱量を注いでも大した意味はなく、むしろ本懐を達成するための熱量を奪われているという考え方すらできる。

つまり、少ない労力と熱量で、基準値以上の成果を挙げることが、この国で仕事をする上で最も効率の良いスタンスではないだろうか。

 

そんなスタンスを体現すべく、6月頭の研修第3タームはとにかく手を抜いている。というより、はっきり言ってつまらない。興味が湧かない。

1日にあまりにも手を抜きすぎたら、班員から無言の戦力外通告を叩き付けられ、2日はひたすら雑用をさせられた。まぁ一人で黙々と手を動かすのは割と好きな方なので、それ自体はあまり不満じゃない。強いて言えば、周囲がやれ彼氏はいるのかだの今日の飲み会がどうとかだのそういう話を大声でするので、それが集中力を削ぐくらいだ。でもそれは過去の自分が犯した失態でもあるので、とりあえず目を瞑ることにした。最後は「これで給料を貰えているんだ」という精神で行くことにした。

 

3日の午前中に、光回線が開通した。なぜかスマホとの相性が悪いのだが、ちゃんと繋がれば通信速度は300Mbpsも出ていた。一人暮らしではオーバースペックすぎたな……。しかもなぜかマンションタイプを頼んだのにファミリータイプと勘違いして繋いでいた。まぉ相手の勘違いなので、このまま料金がマンションタイプならそれでよし、ファミリータイプになって料金が上がったらなんか話違いますよーなどと言って変えてもらえば良いだけの話だ。

そんな悪しき考えをしていたら、午後から鼻水が永遠に出てきて、季節外れの風邪をひき始めた。ハウスダストも手伝ったかもしれない。

 

この風邪は5日の月曜日になっても回復せず、喉の痛みと倦怠感と闘いながら、更につまらない業務と周囲からの突き刺さる視線とも戦わないといけないという四面楚歌状態だった。一つ前の研修担当者が遊びに来て、自分も先週風邪ひいたよなんて話をしてくれたのがわずかながらの救いだった。

 

6日もつまらない研修の続き。なぜつまらないのかを色々考えてみるが、一向に結論が出せない。つまらないから考えたくないのに、その理由を考えるなどつまらなさの極致なので、それはもう拷問のようなものだ。強いていうなら、変化可能性が低いこと、選択肢を知らない状態で何も提示されないことなどが挙げられる。何も変わらないし何も変えられないものを変えようとすることに意味を感じられない。

 

7日になり、喉の痛みが少しひいてきた頃。ようやく研修に対するモチベが少し上がってきた。午後には最後の研修第4ターンの振り分けも発表されて、希望通りの研修を受けることが出来ることになったので、良かったと思う。自分の行きたい場所では、たくさんの製品を扱っているので、何か一つが楽しくなくても他の製品に乗り換えられそうなのが良い。

 

9日は研修第3ターンの発表日。しょうもない質問をいくつかして、最後に少しだけ存在感をアピールして終わることにした。フィードバックで、「君は黙々と作業していたのが良いね」とかいう何のフォローにもなっていないコメントを頂いた。まぁ素直に協調性が足りませんとか言われるよりはマシか。

 

10日に両親が車を届けにきた。たった5年しか乗ってない状態の良い車をくれるそうだ。本当に恵まれている。流石にタダであげるわけにはいかないとのことで、何十万か払うことになったが、それでも破格すぎる値段だ。その後、自分の住む街を少し案内して、都心部に出て焼き鳥を食べて解散となった。焼き鳥も12,000円くらいしてびっくりした。これは一生かけても恩返しは無理そうだ。せめて少しでも何か返せるよう頑張ろう。

 

12日、永遠に終わると思った研修は最終ターンを迎えた。さてやるぞーと意気込んで研修に行ったら、「とりあえず製作体験という感じで、特に何も考えなくて良いです」「目的ですか?こちらも知りません」そうそうこの感じ。やはりこの部署を第一志望に据えて良かった。作業内容も一人で黙々とこなすタイプなので、性に合う。ペアを組んだ人は真逆のタイプで、それはもう半狂乱で作業していた。

 

13日、半狂乱の彼と話すことしかやる事がないので、色々と話すことになった。どうやら彼はこの会社にとってオーバースペックな人財らしい。行動力の塊で、自らの弱点を克服すべく動ける人で、自主的に勉強できて、更にはショートスリーパーときた。2時間しか寝なくて良いらしい。お酒もタバコも嗜んでいるので早死にしそうだが、ショートスリーパーほど活動時間が長いので成功しやすい気はする。人生が暇だと言っていたが、そんな彼に何かを吹き込むことが出来たら、きっと何かの第一人者になれそうだ。とりあえずゲームを勧めておいた。

 

14日、そろそろ単純作業にも飽きてきて、これでお金を貰えるんだから幸せなのだと自分を言い聞かせて仕事をした。朝のバスで秒速5センチメートルを読んでいると、自分も知らないうちにどこかで心のハリを失って、社会の歯車として機能していくのだろうという絶望感を覚えつつ、それでも抗う気にもなれないあたり、既に洗脳されつつあるのかもしれないと思っている。これは何度も言っていることだが、人は諦めた数だけ大人になるのだ。

 

15日はタイ人と一緒に作業した。そんなことある?

どうやら海外工場の研修の一環らしい。と言っても自分は机の隅っこでひたすら作業を続けていた。そろそろ体力的にも精神的にもキツくなってきた。何か修行僧にでもなった気持ちだ。何なら諸行無常の響きありとか行く川の流れは絶えずしてとかぶつぶつ言いながら作業していた。限界だった。

 

16日は同期飲み会。有名デパートの屋上にあるビアガーデン的な場所で行われたのだが、これが全く面白くない。

ご飯もお酒も大して美味くない上に、謎の専属アイドルのステージは素人カラオケ大会だし、PAも雑魚で、ハウリングも当たり前にあった。ただでさえ美味しくない飯が更に不味くなり、鼓膜もいかれて、ついでに目線は常に机を見ていたので、この時点で視覚嗅覚味覚聴覚は機能を果たしていなかった。あまりの酷さに、解散後に一人でお口直しをするか本気で迷ったほどだ。その店を探すのも面倒なので、結局一目散に帰りの電車に飛び乗った。帰りにセブンでスイーツでも買おう。

食わず嫌いは良くないと思ってとりあえず参加したが、ちゃんと食べて嫌いになったら、後は食べなくて良いですよね?

 

その帰りの電車では、ピンクの髪にピンクのシュシュにピンクのマスクにピンクのブラウスにピンクの腕時計にピンクの日傘、左手に何箇所もリストカットの跡がある若い女性が隣に座り、しきりに咳き込みながら、カップルTiktokerやメイクのショート動画を見て、ついでにコメントも食い入るように見つめていた。こっちの方がよっぽど面白いじゃないか。

 

この土日は非常に非生産的だった。ダラダラとして、ゲームして、VCT見て終わった。せいぜい土曜日に真のお口直しとして近くの中華料理屋を開拓したくらいか。土日が始まった時には、色々やろうと思っていたが、そんな思いはどこかへと消えてしまった。

「日々をかわして生きる」という表現は、まさにこのことかと思う。平日の溜まった疲労とストレスのせいで、休日はそれらの返済に充てられる。そんな日々に目標も喜びもない。毎日を送ることだけで精一杯で、それ以上の付加価値なんて付けられない。

こうして人は死んでいくのだろうと思った。

 

19日、最後の個別研修もあと3日。今日からは別のテーマだ。個別研修とは名ばかりの、先輩社員のテーマのお手伝いである。ローラー作戦なので、新入社員の手を借りて行いたい魂胆でもあるのだろう。

さて、ペアになった女性は、典型的なおしゃべりタイプだった。人は多くを聞くより多くを語りたがるもので、彼女は聞かれてもいないプライベートな話を先輩社員にべらべらと話していた。一方、自分はぼーっと聞いていた。何ならちょっと不機嫌な顔をしていたかもしれない。大して面白くもない身の上話を聞かされてもなお、いい顔をしないとモテないというのなら、モテなくても構わないと改めて決心した。

同時に、自戒もした。自分は、このようにつまらない話をしていないだろうか。つまらない話を聞かされるという苦痛を、与える側になっていないだろうか?昔からずっとその思いが通底していたからこそ、何か思い浮かんでもすぐ喋らない癖が付いて、結果としてコミュ障になってしまったのだ。

 

22日から4日間は、デザイン思考研修みたいなものだ。英単語を散々並べてイノベーションがどうとかブルースカイを目指せとか言う割には、YouTubeの動画再生もままならない担当者だった。新たな市場を開拓する前に、この研修がデザインされていない問題について考えた方が良いと思うのです。

「あるドリルが年で100万個売れました。この市場にはどんなニーズがありますか」と言われたので、
経産省のデータを見ると、日本では年に100万個以上売れているので、この市場のニーズはないというのがニーズなんじゃないか」と言ったら笑われました。

 

23日に中間報告したら、研修担当者に半ギレされた。課題が広すぎるらしいが、そもそもイノベーションを起こすためには、ニッチなニーズにアプローチしつつ、包括的な解決案を考えたほうが良いと思う。スタートはニッチでも、それを拡張して一般化したほうが、ポテンシャルは高いと思うのだが、結局、研修担当者によってある程度方向付けされているので、それにどれだけ沿えるかの戦いでしかない。

帰りのバスで、久しぶりに研究室の同期LINEが動いた。どうやらお盆に飲み会でもするらしい。自分はとりあえず黙っておこう。呼ばれてもいないし、呼ばれても何か価値を提供できない。

 

24,25日はひたすらゲームをした。最高の土日だったが、やるべきことは全て山積みとなった。このしわ寄せは来週の平日の夜に少しずつ解決しないといけない。

 

26日に謎のチケットを配られた。社内学会の参加チケットのようなものだ。チケットを配る理由は何となく理解できるが、それならバーコードとかでも良いのでは……?

このチケットが一波乱を予感させた。新入社員のほぼ全てが参加会場が5階に設定されていたのに、自分を含む7人だけが4階に設定されていた。その割り振りの真意を巡って、噂に噂を重ね合わせた結果、他拠点への配置換えの予告かのように捉えられ、泣き出す人まで出てきた。かくいう自分も多少動揺したが、ちゃんとメールを見れば参加会場はランダムだと明記してあるし、選ばれた7人に大した法則性は見受けられない。ひぐらしのなく頃にを思い出した。閉鎖空間で、何の根拠もない噂話がそれらしく語られ、勝手に疑心暗鬼に陥る様なんか、まさにその通りだと言える。明日には殺人事件でも起きないことを願おう。

 

27日はデザイン思考の最終報告。他と比べたことがないので分からないが、多分今年の新入社員はよく質問をするので、わざわざ自分が出張らなくて助かる。おかげさまで全班手を上げたが、全く当てられなかった。みんな積極的で良いことだ。決して自分の存在感が薄いとかそういう話ではない。……そうだよね?

 

28日、遂に運命の辞令交付。ここで何人かは配置換えを食らうという理不尽。他拠点に行くこと自体は、まあ良い。ただ、一旦本社に呼び寄せて、賃貸の契約までさせておいて、また別の場所に行けというのは横暴だし、更に引っ越し代の上限額が低いことはもはや犯罪級だと思う。一応東証プレミアなのに、会社都合の引っ越し代を会社が全額負担しないって有り得るのか?

ま自分には関係ない話なので、とりあえず良かったのですが。

しかし噂話には悩まされました。上記のチケットもそうです。自分の去就を気にするならともかく、なぜ他人の去就に一喜一憂できるのでしょうか。自分には分かりません。

 

29日、長かった研修もあと2日。と言っても、どうせ7月からもまた新たな名前の研修が始まるのだろうと思っている。手を変え品を変え名前を変えて、研修は年単位で進められるのだろう。

そんな研修の中でワースト3に入るレベルの内容が、今日行われた。それは、膨大なテスト用紙を膨大な資料を見ながら解く作業である。これを理解度テストなどと呼称していた。もう何から突っ込めばいいか分からなかったが、とりあえず班員と分担して予定より早く終わらせ、後はゲームでもして暇を潰していた。こんなんで給料を貰って良いのだろうか?

 

6月にして、末尾に書く文章が浮かばないほど、既に生活はルーティン化した。

せっかくなので、現在の社内での自分のポジションについて考えてみる。

まあ一言で言えば、変人枠である。上記のような変な発言と変な挙動を繰り返せば、当然の帰結である。おかげさまで、発表のために前に出るだけでなんか失笑が漏れ出てくるほどになってしまった。

そして、一人が好きだということももう既に知れ渡り、今や話しかけてくる同期はほとんどいない。

まとめると、変なやつで時々面白いけどそっとしておこう、とかそんな扱いである。完全に腫れ物と同じである。

それでも、過剰に期待されるよりマシだと思う。

もう、誰かの期待は背負いたくない。

だから、これで良い。

過労死マラソン第2コーナー

魔の数字3という言葉がある。

魔の数字とは宗教によって異なったりするため、この世界の全ての魔の数字を集めたら、だいたい全部が魔の数字となる気がする。

それこそ大富豪のローカルルールを全て適用すると、ほぼ全てのカードが効果を持つ、みたいな現象が起こるのではないだろうか。

 

自分が書いた魔の数字3とは、入社後3日、3週間、3ヶ月、3年で辞める人が多いという都市伝説だった。

しかし確かに、入社後3日と3週間のタイミングは、体がひどく重くて、ただでさえ少ない会社に行く気力が更に削がれて、思わず辞めたくなった。

それでもちゃんと会社に通い続けたのだから、我ながら殊勝な心がけだ。こんな日々をあと40年も続けないといけないと思うと、絶望甚だしい。

 

しかし魔の数字3のうち、3日と3週間は超えた。

5月に入ると、ゴールデンウィークがあるのが何よりも救いだ。といってもその全てが引っ越しと一人暮らしの構築だけで終わってしまったのだが。

しかも悲しいことに、5/1,2は暦通りに平日である。中堅企業の悲しい実態である。

その5/1,2は、1年先に地獄へと足を踏み入れた新入社員の発表を聞く会だった。各個人にテーマが与えられ、その中間報告を聞く様はまさに研究室のゼミだ。まさか会社に入ってもそんなことをするとは思わなかった。しかも発表を聞くだけではなく、その日の発表のうち1つをくじ引きで選んで、要旨をまとめて提言までしないといけない。これは随分とハードな仕事だった。

 

2日の夕方に、駅前で鍵を受け取り(本当は5/3契約だが、特別に2日の夜に鍵を受け取る算段にしてもらった)、自分の部屋へ向かった。

実は自分の部屋の周辺を散策するのは初めてだったが、歩いてみると何とも言えない残念感が漂う街だった。交通の流れが悪すぎる信号、メイン道路から一歩外れるとそこには狭すぎる路地があり、綺麗な注文住宅の隣にはトタン屋根が剥がれた木造の廃墟が並ぶ。個人的にはこういうチグハグな街は好きなので、既に親近感を覚えた。

 

3日はGW初日。

この日は午前中に宿舎を退寮した。この1ヶ月で荷物は膨れ上がり、スーツケースとリュックとサコッシュ?と通勤カバンを持って移動する様はさながら行商人のように見えただろう。

自分の部屋に着いたら、帰りの電車の時間がくるまで買い出しだ。これまた残念感の漂うショッピングモールは、意外と最低限のものは揃えられる優秀な施設だったので、時間いっぱい買い物をした。実家に帰るためにはいくつもの電車を乗り継ぎ、3時間以上もかける必要があった。もはや車で帰った方が早いまである。

 

4日はとにかく忙しかった。午前中に山ほどの書類をやっつけ、午後は引っ越しの搬出を行い、その後すぐに研究室のメンバーと飲み会である。

この飲み会は自分が初めて企画した飲み会ではないだろうか?以前にもっと大人数での企画を立てたこともあるが、自分の運と人望が足りず、案の定流れた。あの時は自らの浅はかさに絶望したものだ。

今回は4人とちょうど良く、更に企画はしても遂行は別の人に投げたおかげで、随分うまくいったものだ。お好み焼きはとても美味しかった。

 

正直、自分は人の縁とは脆いものだと信じていた。

秒速5センチメートルでは、お互いがもう一度巡り会いたいと願いながらも、終ぞ出会うことはなかった。小学校の時に互いに対する想いを認識しあった2人は、中学校の時に転校して離れ離れになった。その時はまだお互いに関東圏内だったので、意を決して会いに行くこともできたが、今度は片方が鹿児島へ転校し、いよいよ会いに行くことも難しくなってしまった。それでも文通は続けていたが、気付けば手紙も途絶えて、2人の縁は完全に切れた。昔の映画なので、携帯電話もまだ普及していなかった時代だ。

誰かを想う気持ちは、時の流れと運命によって、簡単に打ち砕かれてしまうものだ。

そのことは、身をもって体験している。実際に、小中高校生の時に交流があった人達とは、いま誰一人として連絡ができない。同窓会にも入っていないので、ほぼ間違いなく二度と出会うことは不可能だろう。

大学でも、学部自体の友人とはほぼ連絡が取れない。研究室でも、当時あれほど好きだった先輩方とは卒業以来一度も会っていない。

結局のところ、人と人を繋ぎ止めるのは縁ではなく組織なのではないか、と思ってしまう。

同じクラスだから、同じ授業を取っているから、同じ研究室にいるから。

私たちは、ただそれだけの理由で、辛うじて繋がっているだけの弱い縁でしかない。

だから、自分も研究室を出たら、研究室関係の人達とは二度と出会うことはないと思っていた。

 

今回のケースが秒速5センチメートルと違う点を挙げるとすれば、インターネットの発達と、出会った時には自らの人生を制御できるだけの力を持っているほど成長していたからだろうか。

まぁ前者は実は文通と同じレベルなので、後者の要因が大きいのだろう。作中の彼らとは異なり、当事者同士が望めば、もう一度巡り会うことができる。それだけの力を持った大人になれたことが、子供のように嬉しかった。

もしかしたら、人生の中でもかけがえのない出会いを果たした可能性がありそうなので、そう思い続ける限り、もう一度会うことを諦めないよう努力しようと思った。

 

5日は朝早くから実家を出て自分の部屋に向かい、引っ越しの搬入と洗濯機の設置である。このハードスケジュールを支えたのは、前日に後輩がくれたワッフルと、歓送迎会の時にくれたかきたねである。これがなかったら餓死していたかもしれない。もはや命の恩人である。

 

6,7日はひたすら部屋のメイキングである。車がないのでショッピングモールを数えきれないほど往復して、呆れるほどの段ボールの山を積み上げ、何とか自炊できるシステムを確立して、今年のゴールデンウィークは終わった。

 

8日の地獄感は半端なかったが、研修はとてつもなく楽な上に、自分の部屋から通うという事実が心の支えだった。やはり宿舎ではマイホーム感がない。宿舎よりだいぶ会社に近くなったので、起きる時間も、乗るバスも変わって、とにかくQOLは爆上がりだった。自分の住んでいる場所はマイナーな街なので、特に帰りのバスには多くても3人しか乗らない。こうしてブログを書けているのは、まさにこのバスのおかげである。

 

つまらない研修もあと3日で一区切りとなる11日、今日は最終成果の本発表に備えた仮発表日である。

この前日から発表資料を作り始めて、初めて調査不足の場所が明らかになるのだから、研究室で何も学んでいないことがよく分かる。何度同じ過ちを繰り返せばこの人間は覚えるのだろうか。

研修の最初に調査の順番は立てたつもりなのだが、それを遵守できていなかった。言うは易し行うは難しである。

 

12日は金曜日。意識を改めて、人の誘いに積極的に乗る方針にした僕は、仕事終わりにわざわざ名古屋の近くまで出て、気が合いそうな同期と炒飯を食べることにした。

しかしその中華料理屋は随分と並んでいたため、これを諦めて、急遽ラーメン屋をはしごすることになった。しかも最後の店はマックに落ち着いた。何だかよくわからない会だったが、楽しかったので良しとしよう。自ら望んで見た景色はもちろん好きだが、他人に連れて行かれて見る景色は、自分一人では見れない良さがある。それが自分の性に合わないのなら、今後の人生の参考になる。明らかに好みでない場合は流石に敬遠するかもしれないが、そうでない場合はこれからも積極的に色々な景色を見に行こうと思う。そういう営みが、人生の流れる速度を少しだけ遅くするような気がする。

 

ゴールデンウィークは引っ越しという労働に従事していたため、一人暮らしが始まって最初の土日は13,14日だ。

この1週間は疲労が酷かった。仕事中はともかく、一人で過ごす時間は気付けば頭の悪い妄想ばかりを繰り広げていた。あまりにも酷すぎてここにはあまり書けないのだが、例えば物が少ないおかげで意外と部屋が広く使えるので、もう一人住めそうだな……とかそういう妄想である。疲労は思考レベルを限りなく低下させることがよく分かる。土曜日に沢山寝て、ようやく非生産的な妄想を抑えることができた。別に妄想することが悪いことだとは思っていない。特に自分はこのまま行けば独身のまま人生を過ごすことになるので、せめて頭の中くらいでは幸せな世界線を想像しても良いと思う。ただ、それも度が過ぎると非生産的だし、一番怖いのは、いよいよ頭が壊れた時に、妄想と現実の境目を見失い、おかしな行動を取ってしまう可能性が出てくることにある。そんな妄想を拗らせた奴が、きっと性犯罪者になるのだろう。変態になっても変質者になってはいけない。

 

15日、約10日間続いた個別研修の第一回の最終日。他のチームもそうだが、自分たちのとこも発表会だ。発表10分質問10分で20分。随分と楽だ。

協議の結果、自分はトリになってしまったが、これまで嫌というほど発表してきたせいで、特に思うところもなかった。発表前の緊張感は少しあるが、どうにでもなるしどうでもいいという感覚で臨んだら、意外と好評価だった。発表慣れしてきたおかげだろう。俺たちが今まで積み上げてきたものは、全部無駄じゃなかった。

 

16日は個別研修第二回の始まり。

久しぶりに手を動かして実験をすると、それなりに楽しいもので、そこまでやる気はなかったのだがまあまあちゃんと考えてしまった。雰囲気も良いので、体力的には辛くても楽しくやれるのかもしれない。でもどこも初日くらいは楽しく演出するか。ダル絡みしてくるあたりは、研究室と似ている。

 

18日は中間発表の前日。発表資料を作ろうとしたら、突発的なディスカッションが始まり、その結果、どうやらこちらの仮説には足りない要素がいくつかあることが分かった。また勝手に全てを理解した気になっていた。自分の悪い癖だ。

 

21日にようやく、全ての書類を片付けた。気持ち的には、ようやく引っ越しが終わった気分で、とても気分が良い。これからは「やらないといけないのになぁ」という後めたい思いをしながらゲームをする必要はない。結局ゲームしてるじゃねぇか。

 

最近、失言が多くなってきた。環境への慣れと疲労の蓄積から、脳のリミッターが外れて、言わなくてもいいことを言ってしまう。別に失言することで周囲からの評価が下がること自体はどうでも良いのだが、評価が下がることにより必要のないヘイトを買うのはもったいないので、気を付けなければと思う。

そんなことを思った26日、今日も先輩社員の発表会である。同期のみんなはどうせ真面目に聞かないだろうと踏んで自分も聞き流していたら、意外とみんな聞いていて、何なら理解していてびっくりしてしまった。どうやら意識が低いのは自分だけらしい。

 

何度目かの土日。27日はようやくベッドが届いた。彼女か誰かと電話しながらベッドが組み立てられる様子を見続け、お駄賃として1,100円を払わされ、洋服をベッド下収納にしまった時には既に疲労が溜まっていた。収納力が少ないことも相まって、洋服を買いに行くのはやめようと思う。結局、誰とも会わないし、出社すれば会社が支給した服に着替えることになるのだ。

 

28日は一転、周囲をお散歩することにした。翌日以降の天気があまり良くないこと、気温と気候的に散歩に適する最後の日だと思い、自転車には乗らずに敢えて散歩することにした。実際に、自転車ではなかなか見て回りづらい商店街などを見て回ったため、歩きで良かったと思う。

ちゃんと歩き回ってみると、意外にも風情のあるもので、独創的な石像やノベルティ、資料館に入ればその土地の昔ながらの姿なども確認できて、面白かった。

 

30日は研修の第3ターム開始日。

今回は随分内容が難しくなりそうだ。結局最後はトレードオフの関係になるのだが、それにしても市場を埋めた後の製品の改善案など、新入社員に浮かぶわけがない。メンバーは良いので、適当に遊びながら研修を過ごそう。別に行きたい部署ではない。

 

行きの電車の中で、あるいは帰りのバスの中で、こうして文章を書き続けた。

そこには何の意味があるのだろうと、ふと思ってしまう。

備忘録?しかしその存在すら忘れ去る。

言語資産?自分の言葉に価値はない。

暇つぶし?だったらゲームをすれば良い。

結局のところ、社会の歯車に取り込まれることに対するほんの些細な抵抗の表れとして、このように文章を書いて、日々社会に溶け込んでしまう過程を記して、後から見返した時に自分の心のハリのなさを自覚するために、こんな文章を書いているとかそんなところだろうか。

実際、既に会社というものは随分とぬるいものだと思ってしまう。成果を出しても給料は上がらないし、成果を出さなくても対して給料は下がらない。であるならば、どれだけ楽に働くかが大事だと思ってしまう。そうして手を抜いて働く人生に、メリハリなど存在しない。だから日本の労働生産性は対して上がらないし、働けば心の抑揚は次第に失われて、気づけば街の居酒屋で愚痴を垂れ続けるサラリーマンと化すのだろう。

日本は一応資本主義のはずなのだが、少なくとも大企業の中で起きている現象は共産主義に近い労働体系ではないだろうか、とさえ思う。

昔であれば、もう少し日本人にもガッツみたいなのがあり、先進国に追い付け追い越せの精神で、性善説的な労働システムでも成立した。しかし現代は、どれだけ頑張っても会社も社会も世界も変わらない無力感ばかりが蔓延して、頑張ろうとする気力は失われてしまった。給料は成果を問わずおよそ一定となり、終身雇用制が残ると、頑張らなくてもとりあえず人生安泰であることに気付いてしまったのだ。

 

入社2ヶ月目は、まだ5千字以上書けた。

来月は、どれくらい文章が減るのだろうか。

文章の減少は、心の減少であると思う。

さあ今日もブルシット研修。

過労死マラソン第1コーナー

「社会人なんてなるもんじゃねぇって」
先日、遂に研究室の同期にこんなラインを送ってしまった。

 

新人研修は1か月を経過した。この1年の間に、当社の50年の歩みと、当社よりはるか前から存在する社会人という概念について叩き込むのだから、それはもう前時代的な詰込み型教育である。満員電車を忌避して地方の会社に来たつもりなのに、頭の中が満杯である。
そんな訳の分からない日々を過ごす中で、いよいよ僕も変なことを考えるようになってしまった。いやそれはいつも通りなのかもしれないが。

 

時間とは実は不定形で非定量的で不明瞭な概念なのかもしれない、と最近思っている。
いやそんなことはない、毎日アラームは6:30に鳴るし、始業時刻の50分前に研修会場に入っても残業代は出ないし、そのくせ終了時刻は数分程度も負けてくれないじゃないか、などという意見は当然のように出る。半分以上会社に対する愚痴なんだよなぁ……。
だが、それこそ3週間の研修に50年分の知識を詰め込み、慣れない環境に身を置き続けていると、時間の概念が狂ってくる。入社式当日は、一日の長さに絶望したというのに、休日になった途端に時間の流れが加速しだして、今やこの1か月はあっという間だったのではないかしらと思う。そして気づいたら病院のベッドの上で、ひとりで人生なんてあっという間だったなと思いながら死んでいくのだろう。孤独死は確定してるんだ。

 

実家を出たときの僕は、過去一番死んだ眼をしていたと思う。なぜなら、いつもより早起きだったからだ。理由が安すぎる。

無論、これから社会人にならなければならないことに対する絶望感の表れである。
イヤホンに耳を突っ込み、「愛なんて歌わないよ勝利も成功も~♪」とかいう歌詞のついた曲を爆音で聞きながら、新幹線の窓の外の、流れが速すぎる景色をずっと見ていた。
名古屋に上陸したのは初めてだが、ちゃんと都会で驚いた。まぁ名古屋に住むわけではないのだが。
入社式の数日前に、遠方組は宿舎に入寮しなければならない。そこでまずは名古屋で鍵を受け取ってから、寮に向かう手筈だ。
集合時間になっても、5人中3人しか集まらないアクシデントもありつつ、鍵を受け取った。

最後に、担当者とこんな会話をした。

「社会人になった感想はどうですか?」

「うーん、怖いですね……」

「どういったところが怖いですか?」

「働くという概念そのものです」

 

宿舎は豊田市の駅近で、それなりに栄えていたのだが、会社からは遠いし、部屋は喫煙可の物件だったためちょっと臭かった。

着替えだけでOKとかいう謳い文句だったのだが、洗剤もシャンプーも3回分しかないし、ボディーソープはそもそも置いてなかった。ドラッグストアで3,000円も買うことは、この先あまりない経験だろう。

この日は訳も分からず名古屋コーチンの親子丼を食べて、案の定普通の卵との違いは何も分からなかった。

 

3/31、この日は学生最後の日であるはずなのだが、会社で健康診断をした。

労働契約書では4月1日付で雇用であったのだが、3/31はボランティアか何かですか?

朝6時半に起きるという学生時代では到底考えられない早起きをして、会社へ向かった。

そしてボランティアのはずなのに創業者の著書を読みながら健康診断を待ち、それが終わったら入社式のリハをした。小学校かここは。

 

4/3、これは人生で体感一番長い日だった。午前中に入社式を終えたら、午後から早速研修である。しかも研修の最初と最後に起立して礼を言わなければならない。前時代的である。まあ眠気覚ましのいい機会だと捉えておこう。

副社長のしょうもない茶番に付き合いながら、だからあなたは社長になれなかったんですよと心の中で呼びかけ、しかし顔は真面目にしているのだから、我ながら随分と演技派である。進むべき道は別にあったのかもしれない。

 

とまあ、書こうと思えば毎日でも書けるのだが、いかんせん体力が持たない。

本当は1か月分丸々書こうと思ったが、到底無理な話である。

せめて、過労死するまで終わらないマラソン、つまりこれは自らがゴールを設定することができるという言い方をすると、あたかも自由系だと錯覚させることができる魔法の言葉でもあるのだが、実態はさにあらず、死ぬまで走り続ける以外の選択肢がない地獄もマラソンも、1か月続けて、大したことのない給料に絶望しつつ、ニトリのベッドは引っ越しの日には到底間に合わない事実に更に絶望がマリアナ海溝まで深まり、もはやこの文章は100年前の文学作品の如く長い文章に膨れ上がり、訳も分からない日々を過ごして訳も分からない文章を書く人生を受け入れる期間でしかないと悟ったとき、せめてその過程をできるだけ書き記しておこうなどと言う殊勝な心掛けが、確かにいまあったのだ。

 

5月は書かないかもしれない。

 

前座2「積雲が消える日」

※小説風日記です。

 

Day1"雲の上"

 

 さて、小説のような物語性のある文章を書き始めようと思ったとき、恐らくほぼ全ての書き手は、その書き出しから苦労することになる。なぜなら、いい書き出し方をして読者の心を掴まなないことには、自分の中で自信がある物語の中核を成すシーンまで読んでもらえないからだ。

これが例えば評論文であれば、大抵結論から書き始めれば、とりあえず体裁を成すのだろう。評論は体裁がしっかり決まっていて、それに則ることが定石だ。

もちろん小説にも体裁は存在するが、最近は小説が増えすぎてしまって、テンプレートに当てはめるだけの小説では、見向きもされない時代になってしまった。だから近年の小説はもはや現実世界で勝負することを諦め、異世界に主人公を飛ばすものが多くなったのだろう。それすらテンプレートで、逆に異世界に行った後に現実世界へと戻ってきて、異世界の能力か何かを駆使して現実世界で無双する物語も出始めてきた。そうしたら今度は、小説の主人公に転生した主人公とかいうメタ的な物語まで出てきて、もう訳が分からない。そう、今書いているこの文章並みに訳が分からないのである。

 

 まとまらない思考を一旦取りやめ、重い頭を動かす。

現地時間の朝7時前に出発した格安航空の機内は、乗客の睡眠を妨げないためか、あるいは照明代をコストカットするために薄暗く保たれていた。かくいう自分も先ほどまで微睡んでいたが、微妙に寝てしまったおかげで、再び寝るには足りないが覚醒したとも言えない微妙な睡魔が頭の中に横たわっており、あまり良い気分ではなかった。

スマホは見れないし、本は読む気が起きないので、とりあえずぼーっと何かを思考することにしたが、その結果が先の文章だ。全く非生産的である。

仕方ないので、生まれて初めて乗った格安航空の機内でも観察するか。

試しに上を見ると、エアコンの送風口付近にカビのような黒ずみが出来ていた。

そして足元を見ると、よく足が置かれる位置だけカーペットが禿げて、他の部分と色が異なる様子が観察できた。

なるほど、これもあまり考えない方が良いらしい。

ならばせっかくの帰りの飛行機の中なので、今日までの海外旅行を振り返ることにしよう。

 

 ただ、実を言うと、今回の海外旅行はそこまで大きな刺激があるわけではなかった。研究室で3年間共に過ごした仲間と、日本から程近い台湾に行ったくらいでは、あまり大きな変化はないらしい。日本で見かけるコンビニが台湾でもあるくらい、台湾という場所には日本の文化が息づいていた。

だからだろうか、今回自分が海外旅行に行って気付いたことは、「人を愛する能力がない」という悲しい現実だった。

太宰治の名著「人間失格」でも、主人公はこんなことを独白する。

『人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

ちょうど、帰りの飛行機を待っている間、空港でその部分を読んでいたこともあってか、自分も全くその通りではないかと納得できてしまった。

それは、例えばお土産を選ぶときに、明確に可視化された。

旅行のお土産と言うものは、自分の関係者に最低限配れば良いものだと、考えていた。

そもそもお土産なんてものは、"私は君たちがあくせく働いている間に遠い地に旅行に行ってきたんだぞ"というエゴを表現するためか、むしろ畏まって"私は君たちがあくせく働いている間に旅行に現を抜かした非礼をお詫びします"という周囲への配慮を表現するための道具くらいにしか、思っていなかった。

もちろん、旅行先の特産品の一つでも持っていって、せめて彼の地の片鱗くらいは味わってほしいという思いが、ないわけではない。だから自分は、家族へのお土産として、それなりの烏龍茶を2種類購入した。

しかしそれは、言うなればスーパーの惣菜コーナーで見られる試食のようなものでしかない。試食はあくまでも商品のほんの一部でしかないように、お土産もまた本来あるべき姿から見れば、ほんの一部でしかないのだ。真に烏龍茶を堪能したければ、烏龍茶の茶葉の産地近くまで行って、現地の食べ物と一緒に味わうべきなのだ。だがその全てをいち旅行者が提供することは難しいから、せめて烏龍茶だけでも持って帰ってきて、試食程度の感覚でも味わっていただき、今後の参考にでもなれば、それでお土産の本分は十分果たせると思っていた。

 

 話を元に戻すと、自分の関係者は極端に少ないので、両親と研究室くらいしかない。そして前者は烏龍茶を用意し、後者は同期が適当に見繕ってくれるので、自分は後でお金を払うだけであり、もはやお土産は十分だと、一人満足していたのだ。

一人さっさとお土産を買い終え、暇を潰すように商品をぼーっと眺めていると、同期の一人が声を掛けてきた。

「研究室の直属の後輩にも個別にお土産を買っていこうよ」

一秒くらい、脳がフリーズした。きっと脳内タスクマネージャーを開いたら、CPU使用率は99%くらいだったと思う。

それでも何とかシャットダウンすることは避けたが、同時に世間とのずれを認識させられた。ふと彼らの手元を見ると、既にいくつもの紙袋を提げていた。

「こんなに買うのか!?」

「こっちは家族用と親戚用だ」

自分に関係者が少ないとはいえ、同じお菓子を何個も購入し、有名なお寺か何かでお守りも10個近く購入し、更に研究室全体に贈るお土産とは別に、個別にお土産を買うというらしい。

世間一般から見て、同期と自分のどちらが多数派であるかは分からない。しかし今この場においては、間違いなく自分は少数派であった。というか一人だった。

 

「なるほど、そういうものなのか……」

まるで自分だけがろくにお土産も用意できない冷淡で無愛想な人間に思えてきて、家族向けのお土産を追加購入する決意を固めつつ、後輩へのお土産を物色することにした。

しかしこれが難儀であった。グループに対するお土産であれば、話は簡単だ。そこそこ賞味期限が長く、数も多く、個包装で、無難な味のお菓子でも贈れば、それで良かった。お土産なんてものは、基本的には食品系が最適解と決まっているのだ。なぜなら、食べればなくなるからだ。

お土産は結局のところ、ある程度の体裁を保てば、あとは何を貰うかより、誰から貰うかの方が、よっぽど重要なのだ。好きな人からであれば、ちょっとセンスがずれていても許せるし、嫌いな人からであれば、例えドンピシャで好物を貰っても、"え、何でこいつ私の好きなもの知ってるのキモ"と思われるだけなのだ。

そして、グループには確実に自分を嫌う人間が存在する。ある言説では、集団のうち1割の人間とはどうやっても分かり合えないと言われている。個人的には、これでもだいぶ割合を低く見積もっていると思うが。

その点で、お菓子はお土産の最適解だ。お菓子はほぼ全ての人が好きだし、例え嫌いな奴から貰ったとしても、お菓子の味は大して変わらない。相当毛嫌いされていたら流石に無理だが。お菓子というワイルドカードは、誰から貰うかというパラメーターを除外できる強力な手札と言えるのだ。どんだけお菓子好きなんだよ。

しかしそのワイルドカードは、研究室全体へのお土産で既に使用してしまった。さすがに別のお菓子をあげるのは気が引ける。何より他の同期は、ちゃんとお菓子以外の形に残る何かを贈ろうと考えていたのだ。

 

 お土産の商品を、先ほどとは打って変わって、真剣に眺めだしても、そうすぐに答えが得られるはずもなく、途方に暮れていると、また同期が話しかけてきた。

「そういえば君の後輩のお土産にちょうどいいものがあったんだよね」

そう言って、彼は小さなジグソーパズルが入った筒を指さした。

その瞬間に、自分に対する失望感が心に充填された。

ありきたりかも知れないが、"自分が大切だと思っていた人のことを、こんなにも知らなかったんだ"という思いだ。

これがまさに、人間失格に出てきたセリフ。

『人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

曲がりなりにも、2年間も一緒にいて、好きなものの一つも知らなかったのか。

彼らが両手いっぱいに持っているお土産は、彼らが持つ愛の量に比例していると思った。

自分の手は、両方とも空っぽだった。

せめて彼の助言通り、ジグソーパズルを買っていこう。例えそれが、借り物の愛だったとしても。

 

 手元のバッグから、ジグソーパズルのケースを取り出してぼーっと眺めていると、飛行機のシートベルトサインが点灯した。

窓の外を見ると、飛行機は雲の中を突っ切って下降を始め、やがて遠くに空港らしき施設が見えてきた。

日本に戻れば、あっという間に卒業だ。

 

Day2"通り雨"

 

 随分長い間寝た時特有の、気持ちよさとわずかな気怠さを覚えながら、ゆっくりと目を開けて上体を起こす。自分の部屋のベッドで寝るのも、あと数えるくらいだ。

部屋には引っ越し業者から貰った段ボールがいくつか積まれていたが、それでも部屋の物はあまり減ったように思えなかった。無駄なものは買わないよう心がけていたし、無駄だと思ったものはなるべくすぐ捨てるようにしていたはずなのだが、それでも6年間の生活でさすがに物が増えたのだろう。

旅行から帰ってきた後は、一息つく暇もなく、引っ越しの準備が始まった。

旅行疲れも抜けない中、追加で引っ越し疲れも溜まるなか、今日は同期のみんなと午前から近くのスパに行く約束を……あ、これはマズい。

慌てて時計を見ると、11時だった。

これはもう無理だと諦めて、謝罪のラインを送り、一人げんなりしながら引っ越しの荷造りを続けることにした。

アラームをかける、という簡単な作業すら気付かぬうちに忘れてしまうほど、自分には他人を愛する能力がないらしい。

 

 そんな今日は、夜にもう一つイベントがある。研究室の歓送迎会だ。

これまた遅れそうになり、慌てて電車に飛び乗り、着いた場所は、お馴染みの居酒屋だった。

居酒屋に、お馴染みという修飾語が使えるようになったのも、研究室に入ったおかげだろうか。相変わらずそんな益体のないことを考えながら、とりあえず席に座ると、不意に声を掛けられた。

「お疲れさまです」

「ああお疲れ……って君か」

自分は長机の左端に座り、その更に左斜め前、ちょうどお誕生日席に当たる場所に、いわゆる直属の後輩がいた。

いわゆるというのは、決して世間からの認識に対して楯突こうと思ったわけではない。むしろ、自らの認識において、自分が先輩だったと思えないだけである。

 

 もちろん、同じ組織に属して学年が異なるという点で、広義の上では立派に先輩後輩だ。

ただ、先輩とは得てして後輩を指導するものであるという考え方が、自分の中では色濃く根付いていた。それは実際に、自分がまだ後輩だった時、当時の先輩から手厚く指導してもらった経験があるからだ。

だから自分が先輩の立場に立ったら、きっと色々なことを教えるのだろうと、その時はぼんやりと考えていたのだが、実際に自分が先輩になったとき、その妄想は簡単に霧散した。

その理由は単純だった。そもそも他人と良好な人間関係が築けないのに、誰かを指導するなど夢のまた夢だったからだ。

ましてや自らの世話で手一杯なのに、他人のことなど考える余地は、自分にはなかった。

だから本当はもっと色んなことを伝えるべきだったし、伝えたかったのだが、その効果的な方法を知らずに時は流れ続け、気づいたらもう外に追い出される時期になってしまった。

結局自分は、大したことは何も教えられなかった。

 

 そんな失望感を打ち払うように、頭を軽く振り、

「何も話すことがないなぁ」

そんな冗談半分のセリフを呟いた。

「台湾の話聞かせてください!」

そういえば台湾行ってたんだった。引っ越しで忘れていた。

「台湾のお土産ください!」

あ、そっちが本音か。

苦笑しながらカバンを探ると、あの時買ったジグソーパズルが出てきたので、とりあえず無言で渡した。もう少し何か気の利いた、包装なり言葉なりも付け加えた方が良かったのかもしれないが、残念ながら自分にはそのどちらも用意できなかった。

『人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

まるで呪いの言葉じゃないか。いつまでも解けない呪いが、日常の至る所で、自分の心を蝕んでいるようだった。一方で、その呪いをかけたのは間違いなく自分自身なので、なおさら救えない。

 

 歓送迎会は滞りなく進行し、途中こっそりこの日のために作った動画などを上げて、机のあちこちで自分の動画が流れてくるという現象に若干の恥ずかしさを覚えていると、送別会の企画が始まった。

簡単に言うと、自分の直属の後輩からありがたいお言葉と共にプレゼントを受け取り、その後送り出される先輩がありがたい言葉を述べる会である。

例年は数名が感極まったりするのだが、今年は先輩である我々はお笑い芸人に近い存在だったためか、終始笑いの絶えない時間が続いた。

名前的に後ろから2番目となった自分は、そろそろ空気が中だるみを始めたことを何となく察知し、それこそ笑い話でもして、手短に締めようと思った。

 

 それからのシーンは、今でも鮮明に覚えている。

しかもそれは、自らの非人間性を再認識するという、とんでもなく酷い形でだった。

結論から述べると、後輩が涙ぐみながら感謝の言葉を必死に伝える様子を目の前で見ながら、

自分の心がほとんど動かないことを、自分でも驚くほど冷静に認識していた。

流した涙の意味が全く分からず、ただその様子を頬杖をつきながらまじまじと眺めていた。

そして次の瞬間、自分が俯瞰視点であることに気づき、ひどい自己嫌悪感を覚えた。

ああそうか。

やはり自分には、愛の能力がないのだ。

共通感覚を失い、感情が劣化した成れの果て。

ここでこうして考えている自分という存在は、人の形をした、しかし人の心を持たない化け物だった。

 

『痛みも忘れて 夢さえ失くして

 いつしか血のない ただの人形と化していた』

深夜の街を歩きながら、無造作に耳に突っ込んだイヤホンからは、やなぎなぎの『Sad Creature』が流れていた。

 

Day3"積雲が消える日"

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』

方丈記にもそう書いてあるように、時の流れもまた不可逆である。

そんな当たり前の真理を、6年間過ごした部屋が引っ越し業者の手によって空っぽになっていく様子を見ながら、身をもって再確認した。

「それでは荷物の積み込みが完了しましたので、ご移動のほどお願いします」

それに生返事を返しながら、退去前の最終チェックを進めた。

そうして、二度と戻ることはない玄関に立ち、靴を履き替えて、部屋の方を向いた。

交友関係も少なく、あまりバイトもしなかった自分は、余暇を自分の部屋で過ごすことが多かった。

自分が、子供から大人になる間の繭のような場所だった。

「ありがとうございました。

 この6年間は、自分にとって宝物のような時間でした。

 本当に、ありがとうございました。」

生活の匂いが消えた薄暗い部屋に向かって、頭を下げた。

 

 駅まで続く道を、一歩一歩と踏みしめながら歩く。

6年間幾度となく歩き続けたこの道は、たった今、一方通行になった。進むことはできても、戻ることはできない。戻ったとしても、帰る場所がないからだ。

6年前、最初にこの街に降り立った時は、実家より閑散とした雰囲気に失望し、実際にこの街の不便さに悩まされた時もあった。

スーパーは遠いし、野菜や魚、肉の鮮度も良くない。品揃えも少ない。

遊べる場所なんてなくて、食べる場所も少なくて、早くこんな街から出て行きたいと思った。

それなのに、駅へと向かう足取りは、ひどく遅かった。

早くこの街から抜け出したかったんじゃないのか。

引っ越し業者だって、目的地に早く来てくれって言っていたはずだ。

どうしてのろのろと歩いているんだ。

どうして……泣きそうになっているんだ。

 

 空はあいにくの曇り空だった。夕方には雨が降る予報らしい。

そんなことを考えていると、電車がやって来た。

いよいよこの街を離れるんだ。

電車に乗る。扉が閉まる。

そして、電車は動き出す。個人の感情などに左右されるはずもなく、真っ直ぐ目的地に向かって走り出す。

呆然と、窓の外の景色を見ていた。

気付いたら、一人泣いていた。

このままでは、乗客に変に思われる。

だから気を逸らすように、家族に向けてラインを送った。

『この街を出発しました
ひどい街だと思っていたけど、6年間も住んでいると愛着ができるもので、空っぽの部屋にありがとうを伝えた後、泣きそうになりながら駅までの道を歩きました。
大学に入ってからしばらくは、大学に来ることに学位取得以上の意味はないと思っていたけど、この6年間で、たくさん失敗して、たくさん成長できたと思っています。
お父さんお母さん、本当にありがとう。』

 

 ああ、そうか。

自分はこの街が好きだったんだ。

この生活を、愛していたんだ。

それと同時に、数日前に見た後輩の涙の意味が、少しだけ分かった気がする。

見当違いだったら申し訳ないけど、きっと似たような理由で泣いてくれたのだろう。

自分には何もないと思っていた。

人には必ず備わっている、愛の能力さえも。

でも、こんな自分にも、わずかばかりでも、誰かを、何かを愛する能力があったんだ。

そして自分は、誰かに別れを惜しんでもらえるほどの何かを、残すことができたんだ。

いけない、また泣きそうになっている。

歳をとって、涙腺が緩くなったのだろうか。

いや、昔より人間らしくなったせいだと思いたい。

自らに人間失格の烙印を押すのは、もう少しだけ先にしよう。

 

 流れる景色を眺めながら、karutaの「一番の宝物」を聞いた。

『巡って流れて時は移ろいだ もう何があったか思い出せないけど

 目を閉じてみればみんなの笑い声 なぜかそれが今一番の宝物』

窓の外を見ると、雲の隙間からあたたかな陽射しがわずかに差し込んでいた。

そういえば、雲一つない青空というものはなく、目に見えなくても雲は必ず上空に存在するらしい。

しかし、これはチープで陳腐な表現かもしれないが、この時わずかに見えた青空の部分だけは、雲は一つもなかった。

前座

さよならの朝に約束の花をかざろう」というアニメ映画が、つい先日まで、5年ぶりに特別上映されていた。

映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』公式サイト

さよ朝と略称されるこの映画は、あまり映画を見ない自分が述べたところで説得力は弱いかもしれないが、今までで間違いなく一番好きな映画だ。

5年前には2回見に行き、先日も1回、計3回見て、3回とも泣いた。

3回目ともなると、クライマックスもそうだが、むしろ最初に描かれている日常風景や、果ては雄大な空の背景を見るだけで、思わず泣きそうになってしまう。この尊く愛おしい日常は、時の流れという不可抗力によって、残酷にも過ぎ去っていく。そのことを認識した時、きっと自分の中で似たような経験をした記憶が呼び起こされて、思わず涙してしまうのだろうと思う。

そういえば、さよ朝を制作したメンバーがまた新しいアニメ映画を作っているという。

「アリスとテレスのまぼろし工場」公式サイト

前作とは一変して随分とダークな雰囲気に、非凡なPVが興味をそそるが、果たして公開はいつだろうか。今から楽しみだ。

 

映画を見終わり、遅めの昼飯を食べるべくフードコートへ向かっていると、いきなり若い女性に声を掛けられた。

「良かったらキレイキレイどうぞ!」

普通こういうのってチラシ入りのティッシュだったりしないの?しかも4個も手渡された。もしかしてお前清潔感無いからこれでキレイにしろとかそういうメッセージだったりするの?

「良ければ簡単なアンケートに協力してもらえませんか?」

そういって女性は、テレビ番組の街頭調査で使うような、該当する項目に丸いシールを貼るボードのようなものを指さした。

もう内容はあまり覚えていないが、あなたは普段家で何を飲みますかとかそんな感じだった気がする。

"お茶やコーヒー"を指さすと、その女性はシールを貼らずに、

「実は今特別なキャンペーンを行っておりまして、なんとこのショッピングモールに訪れた方限定で、このウォーターサーバーをプレゼントしているんです!」と言ってきた。

色々と面白くて笑いそうになってしまった、というより普通に半笑いしてしまったが、特に急ぐ用事もなかったので、せっかくならセールストークでも聞いてどんな手口か確かめてみようと思い、とりあえず話を聞いては適当に相槌を打っていた。

面白いくらいメリットしか言わないし、少ない時間で沢山の手法を見ることができたので、個人的には有意義な時間だったと思う。

テクニカルタームは知らないので、適切な単語が出てこないが、人間が得するより損したくないと思う心理、ラッキーだと言って運命感を演出する方法、限定商法、果ては昨日は〇〇人もの方がお持ち帰りになりました、など……。

思わず「あなた方はこの商品でどうやって利益を出すんですか?」と聞いてしまいそうになったが、さすがにお腹も空いてきたので、一通りの説明を受けた後に、適当な理由を付けてお断りした。

 

そんなイベントも終わり、帰路につくためイヤホンを耳に突っ込んで駅前の広場を歩いていると、今度は別の若い女性に話しかけられた。

まさかこれはモテ期か!?モテ期なのか!?

その女性は少し寒さの和らいだ日にしては、しっかりと防寒対策をした格好をしていて、しかしそのコートか何かは桜色をしていて、一足早い春の訪れを予感させていた……自分はやはり小説は書けないですね。人物描写がヘタクソすぎる。それもそのはず、他人なんて大して見ていないので、書けるわけもないのだ。桜色をしていたのはコートだったかスカーフだったかマフラーだったかそれすら分かんねぇもん。ファッションにも興味ないしな。

「実は私、会社の研修で社会人にインタビューさせていただいているのですが、社会人でいらっしゃいますか?」

桜色をしていたのは僕の頭でした。

てか会社の研修ってなに……研修で見ず知らずの社会人に話しかけることある?その企業大丈夫?やっぱ働きたくねぇなぁ……。

社会人と見間違われるほど老けて見えるのかな……まぁ目の死に方とか猫背で早歩きな姿とかまんま社畜のそれだもんな。

見知らぬ若い女性に2回も話しかけられて、2回とも勧誘だか研修だか分からん話をされるとか、モテ期というかカモ期なんじゃないのこれ。確か実家にいたときも、駅前広場で勧誘のチラシを配っている宗教の人に、よく話しかけられたもんなぁ。やっぱ目が死んでるからこいつ落とせそうだとかそういう判断されるのかな……。

 

さて、これまた前座だけでだいぶ文字数を稼いでしまったので、今回は一旦ここまでとなる。本題の話はちゃんとあるのだが、最近忙しさが半端ないので、もしかしたら書けないかもしれない。