松前藩主の名刺開発日記37
こんばんは、お久しぶりです。
ようやく気温が下がってきましたね。個人的には寒い方が好きで、頭が冷えるとよく考え事をできるようになる気がします。その一環で秋冬は特に創作欲が強くなります。名刺前編も2月に着手していますし。
そんなわけで久しぶりに後編を書き進めました。
研究室の先輩が絵の方面で創作活動をしているらしく、クリエイター(?)どうしで色々意見交換したりして、創作欲を刺激されました。
本当はやらないといけないことが山積みなんだけどな……。
最近ノートPCを買い替えたばかりで、以前より小型のモデルを選びました。
その分キーボードも小型になったせいか、タイピングミスが目立ちます。
後編の制作は、自分の手を新しいキーボードに馴らすいい機会になりそうです。
先日から後編を修正しつつ、今日は新規分を書きました。たった50行程度ですが……。
今取り組んでいるパートは、なんか適当なことを言って尺を稼ぐパートなので、自分にピッタリですね。おかげで意外と手が進みました。
しかし残りルートは、今手を付けているものを含めて2ルート、しかもどちらも長い方……。終わる気がしません。
ぼちぼち頑張ることにします。
尺を稼ぐと聞くと、まるで原液を希釈するかのような、中身を薄っぺらくするような行為のように思えますが、これが意外と大事なことに最近気づきました。
似たような文章を意味もなく連ねることは時間の無駄だと思ったりもしますが、そうやって文章を積み上げることで読者を感情移入させられる気がします。
AIRはシナリオだけで2MBあったそうですが、そのおかげでとても感動する物語となりました。キャラクターと過ごす時間が長いからこそ、読者は感情移入しやすくなるのでしょう。
逆を言うなら、感情移入させたいなら、簡素な文章ではいけない。
そう思って、シンプルではなく、かつ冗長でもない文章を書くよう努力しています。
その前に完成するかどうかだいぶ怪しいのですが……。
陽が傾く館
いつも長文を投稿する場所があるのだが、そっちの方には投稿できないくらい、色んな意味で攻めた内容の長文を書いてしまったので、代わりにこちらに載せることにする。青森旅行の集大成みたいなもの。
考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。(中略)そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。(太宰治『人間失格』より)
人間失格の主人公は、幼い頃に既にこのような思いを抱き、若くして戯け、お道化を演じた。
その姿がまさに昔の、そして今もそうだが、僕自身と重なることに気付かされた。
小学生の僕は、ひどいいじめに遭っていた。
時には、ただ通学路を歩くことさえ否定され、自分を認めてくれる存在は一人もいなかった。
それでも小学校には行かなければならない。それは当時の僕にとっては一種の呪いのようで、吐きそうになりながら、泣きそうになりながら、それでも呪いに従って、クラスという名の拷問部屋へと足を運んだ。
そうして謂れのない刑罰を、それを与える資格もないはずのクラスメイトから受けながら、僕はいよいよ人間を恐れるようになった。世の中の人間という生き物は、こぞって僕を排除しようとする。その理由を考えた時に、もしかしたら僕は人間ではないのかもしれない、あるいはとても人間とは言えない、何か変わった存在なのかもしれないと、思い始めた。ミツバチがスズメバチを寄ってたかって排除するように、僕も同じ人間という生き物ではあるが、更にその下流に分類があって、それが他の人間とは違っていて、さながら人間亜種に属するのではないのかと思い、それを世間に見破られ、排除されることをひどく恐れた。
では排除されないためにはどうすればいいか。
クラスで地位を獲得している人をつぶさに観察すると、大まかに二つのタイプに分けられた。一つは、物理的な力が強いタイプ。もう一つは、周囲をよく笑わせるタイプ。
非力な僕が選ぶ道は、自然と後者になった。見よう見まねで彼らに倣い、そこからエッセンスを抽出して応用し、クラスのみんなを笑わせようと努力し……気付いたら、ピエロになっていた。
僕はこの時既に、「笑わせる」と「笑われる」ことの違いを肌感覚で覚えていた。そして僕は、拙い芸を披露するたびに「笑われて」いた。
それでも僕は良かった。排除され追放されるより、何倍もマシだった。
僕には、笑わせる才能はない。だから僕は笑われにいった。クラスの人気者でも、三流芸人ですらない。僕はまさに、お道化となっていたのである。笑われることよりも、失望されることの方がずっと恐ろしかったからこそ、こうして今も、ピエロを演じ続けている。
そういう意味では、僕は時に両親の眼前ですら、ピエロを演じてみせる。自慢ではないが、僕は特にこういう方面の演技力は高い。このピエロは、自らの生みの親の前でさえ、仮面を外さない。なぜなら、父親が怒り狂い、目の前でボールペンをへし折る姿や、母親がまるでゴミでも見るような目で僕を見る姿を見るくらいなら、たとえどんなにつまらなくてもお道化を演じた方がマシだからだ。もちろん他の人間なら尚更で、自分が本当の人間ではないことを見破られ、差別と軽蔑の目で見られたくないからこそ、本来は無口で静かに本を読んでいたいのだが、常に、そして必死に道化を演じた。僕を見て笑っている瞬間だけは、僕が人間ではないかもしれないという懐疑の念を消し飛ばせると信じていた。
しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様がないし、また口ごもりながら一言でも抗議めいたことを言いかけると、(中略)世間の人たち全部、よくもまあそんな口が聞けたものだと呆れかえるに違いないし、自分はいったい俗に言う「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでも自らどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。(太宰治『人間失格』より)
そんな敗北の少年、もとい敗北の道化師は、自らの顔に仮面をべったり貼り付け、塗り重ね、もはや本来の顔を思い出せなくなってしまった。いや、この思いすら嘘かもしれない、しかし思い出せないのは事実、だが本音は言っている、しかしどの顔での本音なのか……本物ってなんだ?教えて八幡。こうごまかす時点で道化……うむ、分からない。ただ一つ確かなのは、僕はもはや道化なしでは生きていけぬということである。
その性分は、誰かと話す時に、息を吸うが如く現れる。つまるところ、僕は真面目な話を真面目に聞けないのである。友人と話すときは、話しながら、あるいは聞きながら、平気な顔のふりをして、どんなに寒くてもつまらなくてもいいから、懸命にジョークを考える。偉い人と話すときだって、ジョークまではいかなくても人より変わった言い回しをする。そうして相手の注意の矛先を、自分という存在の本質ではなく、目先の言葉に向けさせる。真剣勝負するときっと勝てないから、相手が真剣を出してきても、こちらは錆びた刀とか、木刀とか、ラップの芯を持ち出して、勝負を不成立にさせる。別に負けたくないのではない。真剣勝負を通じて、自分のちっぽけな心が、薄っぺらい本質の透けて見えることが、相手の失望を誘う気がして、恐ろしいのである。その点、相手が真剣を抜いてもこちらが錆びた刀を抜けば、錆びた刀に対して、あるいは錆びた刀を抜いた僕に対してしか失望しない。錆びた刀を抜いた僕は紛れもなく仮面を被った僕なので、傷がつくのは仮面であり、その内側にある、僕自身が持つ弱く醜い顔ではない。だから僕は確実に、真面目な話をしない。なぜなら、僕は真なる面目を出せないからである。また、僕は人間の目ほど恐ろしいものはないと考えている。一度目と目が合えば、自分が人間でないことが刹那のうちに明らかになってしまうと恐れ、あるいは自分を異存在を見るような目で見てくるような、罪人を咎めるような目を一瞬でも見ることが怖くて、もはや人間の目を見ることなど、自分には到底叶わないことである。
笑い。これは、つよい。文化の果の、花火である。理智も、思案も、数学も、一切の教養の極致は、所詮、抱腹絶倒の大笑いに終る、としたなら、ああ、教養はーーなんて、やっぱりそれに、こだわっているのだから、大笑いである。(太宰治『思案の敗北』より)
結局のところ、僕は他人の幸せを願って、誰かを笑わせ(れ)てきたのではない。それについ先日気付いた。一日一笑、などという標語を振りかざし、人は笑っている時に一番幸せである、などとうそぶき、自分が行っていることは奉仕活動であり、サービスであり、時には社会への還元であるとすら、考えたこともある。
しかし本心はそこにはない。微かながらも上記のような思いを抱いていることは事実だが、これは第一目的ではない。一番の理由は、誰かを笑わせることで、人間の警戒心を緩め、取り入り、そして自分という存在を正しく認識する前に、「面白い奴」あるいは「変な奴」というバイアスを持たせ、自らの核を煙幕で遮ることであった。今思えば、笑いという感情が強いということを、かなり前から無意識的に知っていたのである。
最早、生まれてくることが罪だったのだ。すべての人間を裏切り、疎まれるばかりで何もできない僕は、まさしく罪の塊。そうして人間に怯え、人間から忌まれながらに生きることは、僕にとっての罰である。そして、死ぬことで僕に対する不満が昇華され、最後にわずかばかりの償いを行う。
社会の片隅、正気と狂気の間に暮らし、人間と非人間が融合したようなおぞましい存在。
それが僕の正体である。もはや人間失格どころの話ではない。
俺は生物を失格していた。
■
お久しぶりです。松前藩主です。毎日元気に研究しまくって死にそうになっています。
悲しいことに、名刺後編を作る気力も時間もありません。
自粛期間は気力はないけど時間はあったので作っていたのですが、それももはや遠い昔の話です。当時は世間に蔓延する閉塞感みたいなものに耐えきれず、名刺作りに励んだものですが。
さて、後は何を書いたものか……。
そう言えば先日、名刺をプレイしていた人が身近にいることが判明しました。何となく予想していたのですが、意外と当たるものですね。
直接レビューを聞いてむずがゆい思いをしたのですが、実況者である幕末志士さんが作ったフリーゲーム「キリザキ君は。」に近しいものを感じたという感想が印象に残っています。
僕自身もあれをプレイして影響を受けたし、何なら名刺の構想をぼんやりと練っている時に出たものですから、プレイしながら先を越されたと思ったものです。
なので名刺を作るときにはなるべく展開が似ないよう配慮したつもりです。それでもやはり近しい部分もあったのでしょう。
キリザキ君の元ネタとなった坂本さんがシナリオを書いていますが、坂本さんは太宰治に大きく影響された人です。
僕も人間失格を読んで、それはもうめちゃくちゃ影響されました。
こう考えると、そもそもキリザキ君にしろ名刺にしろ、元を辿れば太宰治に端を発している気がします。特に名刺の方はだいぶ人間失格らしいテイストです。主人公が常に罪の意識を持っていながら、また同じ過ちを繰り返してしまう点など、まさに該当する部分と言えるでしょう。
前編ではかなり人間失格色の強い話になってしまったので、後編で差別化を図ろうと思っていたのですが、その後編は出そうにありません。
しょうがありません。なぜなら僕は、研究と創作を、もっと言えば仕事とプライベートを、両立できない人間なのですから。
どうやら僕は、人の子はおろか才能の神にさえ見放されてしまったようです。
あるいは現世に僕というキャラクターを作る際に、プレイヤー(神?)はステータスのパラメーター配分をずいぶんと適当に済ませてしまったのでしょう。
そう考えると面白いですね、ギリシャ神話よろしく多神教と仮定して、たくさんの神様が、地球というフィールドを舞台としたオープンワールドゲームをプレイしていて、その神様がゲームをプレイする際に人間というキャラクターを作るから、僕らが生まれ生きている。一度作ったキャラクターは変更することはできず、かつパラメーターが無数にあって最適解がないため、神様はいろんなキャラクターを作って、どれが最適解か探している。で、僕は失敗作というわけです。
しかもこれが生物学的観点から見て矛盾しないのが更に面白いです。生物は長い年月をかけて進化していきます。人間も例外ではありません。プレイ時間が長くなるほどに、キャラクターを作るほどに、最適解に近づいていく。これを僕らは進化と形容しているのかもしれません。
さて、このゲームの終着点はどこにあるのでしょうか。オンラインゲームの終焉はサーバーの閉鎖ですが、この場合は地球の滅亡でしょうか。
その前に名刺というゲームを早く完成させなくちゃ。
松前藩主の名刺開発日記36
本当は作る気力すらない名刺後編を、最後の気力を振り絞るように書いています。
1ルート雑に終わらせて、僕が一番書きたかったルートに入っています。
それを含めてあと2ルート、しかもどちらも構想的には長い方……。
終わる気がしないどころかむしろ終わりたいくらいです。やっぱやめようかな……。
今思えば、1年前に前編を作った時は、もう少し前向きな気持ちで作っていました。
全力を出して、評価してもらおうと意気込んでいたのです。
しかし今は、ただただ早く完成させていつでも死ねるようになりたくて書いているだけで、しかも前編を出して全く評価されないことが分かったので、余計に気力がありません。
どうせ誰も見ないんだから適当に作り上げていいだろと、思ってしまいます。
とりあえず作ります。
雑に終わらせた1ルートは、智代アフターのBADENDと似ています。
個人的にはあのENDは衝撃的でした。一見幸せなはずなのに、そこに潜むわずかな妥協を許さずに、BADEND扱いにする。中途半端な結末を許さないスタンスが、面白いですね。TRUE ENDの結末を知っている分、余計にBAD ENDが際立ちます。
雑ルートはこのスタンスをもう少し深く掘り下げた感じです。
松前藩主の名刺開発日記35
名刺後編の制作を開始しました。
後編というか、完成版ですね。
何度も作ろうと思っては時間がないやる気がないと言って作ってきませんでしたが、遂に作ることにしました。
ただこのブログをリアル知人の人たちに公開してしまったので、一旦非公開設定にしてまた開発日記を書いていきます。
後編は前編と異なりネタパートをほとんどカットして、ひたすらシリアスに書いていきます。別にネタパートが思いつかなかったわけではありますん。
内容も前編より更に暗くしていきます。その内容の話は次回以降にするとして、今回はそもそもなぜ名刺を作ろうと思ったのかを書こうと思います。
名刺を作る理由はかなり初期でいくつか理由を挙げていたと思いますが、実はそれらの理由は名刺を作る一番の動機ではありません。
一番の理由は……いつでも心残りなく死ねるよう準備をするためです。
こういうことを書くと絶対何かめんどくさい反応が返ってくるので、リアルタイムでは公開する気はなかったのですが……名刺の完成版ができたときに、公開します。
そもそも、僕には生きる理由がありません。
それでも、ある時父親から「人間は自己満足のために生きている」と言われて、それ以降ずっと自己満足を追い求めてきました。最低限やることをやって、あとはひたすら楽しいことしかしない。まぁ最低限のことすらやらなかったときもあるのですが。
しかし、その自己満足すら達成できない事態に陥りました。
原因は2つあって、1つは「もう大体満足した」から。
もう1つは、自己満足すら満たせない世界になってしまったから。
前者の理由から説明します。まぁそんなに難しい話ではなくて、今までたくさんのゲームやアニメやラノベを楽しんできて、もういいかなと思うようになっただけです。
もちろん、まだ僕も知らない、楽しい作品はいくらでもあるのでしょうけど、それらに手を付ける気力がなくなりました。多分それが、大体満足したことの証なのでしょう。
いくら大好物でも、それをずっと食べ続けるのはしんどいのと同じです。
逆を言うなら、ずっと食べ続けているとしんどいと思う程度でしかなかったと言えます。つまり、今挙げたエンターテインメントの数々は、自分の人生のメインにはなり得ないということです。本当にそれらが好きなら、それらに関わる仕事に就きたいとか、新作を見るために生きていけるとか、そんな風になるのでしょう。僕はそういった思いを抱くことはありませんでした。
後者の理由は、今回後編を作るきっかけにもなりました。
今思えば、友人とバカ話をすることは自分にとってとても大きい自己満足の源だったのかもしれません。
今年から卒研配属されて、文句を言ったり嫌な思いをしつつも、バカなことを言いあいながら卒業研究に取り組む未来が、いとも簡単に消え失せました。
4/7以降、誰とも会っていません。本来であれば卒研が始まっているというのに。
別に卒研を頑張るつもりはありませんが、やる気がないなりにも最初は頑張ってみようと意気込んでいたのです。
しかしふたを開けてみれば、学生は登校禁止で、論文だけ渡されて家でずっと待機するだけ。
そんなつまらないことをするために生きているのではありません。
そう思うと途端にやる気がなくなり、論文も何も読んでいません。
もう、人生はこの先面白くなることはない。
研究にも取り組めず、見たいアニメもラノベもほぼ全部見て、やることがない。
1日が長すぎて、退屈すぎて、つまらなすぎて、もう僕には耐えられません。
こんな生活がいつまで続くのかも分かりません。
だったらもう、死んだ方がマシだ。
自己満足という、生きる意味を失ったのだから……。
最後の生きる意味が、自分で物語を作って、それを世に問うてみること。
名刺後編では、そんな生きる意味を問う物語となっています。
刮目せよ、オレの黒歴史!
俺の時代がやってきました。そう、人類引きこもり時代です。
以前までは引きこもり=社会のゴミみたいなイメージでしたが、今や迂闊に外を出歩く方が悪なのです。つまり、万年引きこもり生活をしている僕は正義の味方なのです。
はい、皆さんこんばんは。気持ち悪い見た目と気持ち悪い中身に定評のある松前藩主です。外面も内面もキモいとか人生終わってますね。むしろ人ですらないまである。
冒頭の通り、引きこもり生活が推奨される世の中になった今、人々の、特に若者が持つエネルギーは、どこに発散すればいいのでしょうか。
僕は、インターネットコンテンツに発散されると考えています。
今や小説もアニメも動画もゲームも、ネットで無料でできる時代です。これを機に、こうしたコンテンツにハマる人は増えそうな気がします。そういう意味では、Youtuberや配信者、あるいはなろう作家、フリゲ製作者にとって今は新規のファン層を獲得する絶好の機会かもしれません。
ただ、こうしたコンテンツは無料かつ数が多い分、玉石混交とも言えます。
つまらないネット小説、エタったフリーゲーム、面白みのない動画……。
あれ、何だか手が震えてきたな……。もしかして今挙げた例の全てに思い当たる節があるからかしら……。いやネット小説は書いてない。
まぁそんなわけでエンターテインメントが吐いて捨てるほど溢れる中、自分好みのものを見つけることは至難の業です。
そして、"見つける"ことに飽きが来ます。特に最近はその傾向が強いですよね。10年前のネット界隈とかは、"見つけてやろう"と息巻いている人たちが多かった気がしますが、今はツイッターで回ってきた、既にバズっているツイートをRTするばかりです。
要は、面白いという保証のないコンテンツに手を出す人が、少なくなりました。
誰だか知らない奴の作品を鑑賞する気が起きないわけです。でも世間で人気だったら、知らなくても鑑賞してみてもいいと思えますよね。あるいは知っている人だったら、鑑賞する気になりますよね。
本とかで例えると分かりやすいかもしれません。新しい本が欲しくなって、ふらっと本屋に入ったとします。すると、2冊の本が目に入ってきました。
1つは、知っている作家の最新作。もう1つは、知らないけどネットで人気の作品。
1つだけ買うとき、あなたはどちらを買いますか?
どちらを選ぶかは、個人の感性によります。僕は比較的前者です。
ここで前者を選んだ方には、このブログが新しい暇つぶしコンテンツの候補になるのではないでしょうか。
これからたくさんのエンターテインメントを消費していく中で、そういえば松前藩主とか名乗るキモヲタが変な文章を書いていたから見てみようと、思うかもしれません。
嫌でも日々陰鬱なニュースが目に入ってくるこんなご時世では、こちらの気分までどんどん陰鬱になっていきます。そんな時にこのブログを見て「こいつバカだなぁ」と思ったりして少しでも浮世の憂いを忘れることができるなら、この痛々しいブログを公開する価値もあると思います。
……久しぶりに長文書いたせいか、だんだん自分が何書いているか分からなくなってきました。とにかく、笑えよベジータみたいな感じです。
おこがましいかもしれませんけど、皆さんがこの陰鬱な時期を乗り越える一助になることを祈って、このブログを(改めて)公開します。元々は1年前の春休みに、名刺というあだ名をつけた作品の開発日記として一人寂しく綴っていたブログです。ここ最近タイトルを変えて、自分の考えを整理する場として再運用し始めました。
その名刺は1年の経過をもって既にエタった&黒歴史化したので、それに辿り着きかねない情報が載っているようなマズい記事は非公開設定しました。
最後に、数あるコンテンツを差し置いてなおこのブログを見ることの利点を述べておきます。
まず、このエンターテインメントには永続性があります。アニメや漫画やラノベや動画は基本一度見たらそれで終わりですが
このブログを見れば、松前藩主をこのネタで死ぬまでいじることができます!
後は、読者側に一方的に有利な双方向性があります。このブログは多分アカウント登録しなくてもコメントできるので、読者は松前藩主を知っていますが、僕はコメントした人が誰なのか分かりません。なので匿名で僕に色々言えるチャンスでもあります。コメントは基本返します。あまりに酷いコメントには返しませんが。
これを応用して、例えばネカマプレイができます。コメントの最初に、「私はあなたと同じ学年の女子です♡」みたいなことを書くと、僕は多分相当緊張してそれを読み、かつ緊張しながら返すことでしょう。なぜなら僕にはその嘘を見抜くすべがないからです。
まぁメタ的に考えて女子がこのブログを見ないことは自明なので、ネカマは一発でバレるんですけどね。それでもやりたい人はどうぞ。
自分の身を切ってでも周囲に笑いを提供する僕はいよいよ世界のエンターテイナーの仲間入りを果たせるのでは。
春休み延長コース
タイトルの通り、春休みが実質的に延長されました。
理由は言わずもがなでしょう。特に研究室とかいう場所は、狭い部屋に大勢の人がいるような場所なので、濃厚接触どころの話ではありません。以前、インフルエンザが研究室中に蔓延して、数日間止まったこともあったとか……。恐ろしいですね。
ということで不要不急の出勤(?)は控えるような方針となり、新年度が始まったにも関わらず、こうして自分の部屋で心ゆくままにモラトリアムを味わっています。
もちろん、本来であれば平日の日中は研究室にいる時間なので、研究できない代わりに渡された英語の教科書のコピーや論文を読んだり読まなかったりしています。
今日は土曜日なので、久しぶりに昼まで寝て、その後はゲームをしました。
先日から、OCTOPATH TRAVELERをプレイしています。確か全世界200万本出荷記念でDL版がだいぶお安くなっていたので、Steam版を購入しました。以前から面白いという噂を聞いていたのですが、実際に結構楽しいです。
特にFF6とかが好きな人には、おすすめできます。精巧なドット絵や王道なストーリーは以前のRPGを彷彿とさせます。一方、バトルシステムは凝っていて、RPG特有のエンカウントバトルのワンパターンさを克服しています。
既に50時間以上プレイしていますが、なかなか終わりが見えそうにありません。どうやら裏ボスなどもあるようで……これもまた長い闘いになりそうです。そもそもRPGは長い時間をかけて少しずつ進めていくゲームだと思うので、気長にやっていこうと思います。それを見越してか、メインストーリーの節々で前回までのあらすじが表示されるのもいいですね。
卒業研究もRPGと似たようなもので、なかなか終わりが見えそうにありません。いや始まってすらいないので当たり前なのですが。
それこそ僕がいる研究室は往々にして実験手技を磨くことから始まるので、いよいよRPGに似てきます。
何度もバトルして、レベルを上げて、スキルを覚えて、ストーリーを進めて、クリアを目指すように
何度も練習して、レベルを上げて、スキルを習得して、実験を進めて、最終的なゴールを目指していかなくてはなりません。そう思うと大変ですね。
卒業研究の方も、気長にやっていこうと思います。