松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

神様じゃなくなった日

新年あけましておめでとうございます。

昨年はあまり精力的な活動ができませんでしたが、今年は頑張りません。

今年は忙しくなりそうです。

ブログも、これまで以上に書く頻度が減ると思います。

 

ただ書きたいことは2つあって、それを大みそかと今年に分けて書こうと思ったのですが、やる気が出ませんでした。発表のスライドを作っていたせいでひどく疲れてしまったのです。

 

今回は、昨年に放映されたアニメ「神様になった日」について書いていこうと思います。いろいろと思うところがあって、これは文章化したかったところです。

結論から言うと、神様になった日は麻枝さん史上最悪の失敗作と言えるでしょう。

ただ麻枝さんの(にわか)ファンとしては、どうしてこうなってしまったのかを、色々と考えるわけです。その考えた内容を、これから書いていこうと思います。

それで、書く順番を悩んだのですが、敢えて最終話から遡る形にしてみようと思います。よって以下ネタバレとなります。

 

 

自分としては、最終話Bパートを少し変えるだけでもまだマシになったと考えています。

ひなが陽太のことを思い出す。ここまでは誰もが予想できることでした。

問題はその後の展開です。その後は幸せに暮らしました、なんて昔話から続く当たり前の結末では、興も冷めます。

細かいことを言うと、そもそもひなが患っているなんとか症候群は、生きることすら難しいものではなかったのでしょうか?当たり前のように立ち上がり、あまつさえバスケのボールをネットに入れられるほどの力はどこにあるのでしょうか。そのくせ呂律はうまく回らない、という矛盾も目につきます。

そして、映画の内容がkarma。過去作品を引っ張ってくること自体は別に良いのだが、なんだか過去の栄光にすがっている感が否めない。映画の内容が作品のコアになるのなら、その部分は完全オリジナルであってほしかった。

ここからは蛇足かもしれませんが、もし自分ならどういう展開にするかを、少し書きます。自分の趣味がだいぶ反映されているので合わない人にはとことん合わないと思いますが……。

現実的に考えて、ひなは陽太の家に帰った後、程なくして死んでしまうと思います。あれだけ設備のいい施設でやっと生きることができるひなを、一民家で生かすことはできないと思うのです。

ひなが死んでしまった、その後。

パターン1は、後日ひなの遺品整理をしているときに未完の映画が出てくる。元気な状態のひなが映って、未完なので途中で内容が終わり、少ししてメイキング映像が流れる。見終わったあと、「ひなにとっては奇跡のようなひと夏を、最高の思い出にできたんだね……」みたいなことを言って終わるパターン。後日譚として、陽太もあの介護士(?)さんと一緒に働いたりしたら後味も悪くないのでは。

パターン2は、陽太が機械工学を専攻して、興梠博士を超えるような技術者になる。ここで鈴木少年を絡ませるのもいい。そしてある時、ひなに埋め込まれていた量子コンピューターと出会い、そのメモリを読み込む。そこにはひなが神様になってからの出来事が主観映像として保存されていて、読み進めるうちに映画のメイキングを撮るシーンになって、数十年越しにひながあの夏を宝物のように思っていたことが判明する……という終わり方。

ひなは死んでしまうけど、こっちの方がいい話だなーって感じに落とせると、自分は思います。他の人がどうかは分かりませんが。

 

最終話Aパートに目を向けると、ひなが陽太のことを思い出すのが突然すぎる気がします。前話から思い出せない状態が続いていたという意味では十分に尺を使っておいて、思い出すのは一瞬(に見える)で、なんだかあっけない気がします。それだったら、これまで思い出せなかったという設定をもう少し伸ばして、最終話全体を使って少しずつ思い出していった方が感動できる気がします。それこそ鈴木少年が陽太の学校に転校してきて、ひなと過ごした夏の出来事を追体験させたように、陽太もひなに対してあの夏に起こった出来事を片っ端から再現して、少しずつ思い出していった方が、神様になった日の総括と、あの夏のフラッシュバックを兼ねて良いと思うのです。我々は決して、「AIRの真似事」を見たかったのではありません。

 

もっと言えば、後半の話をもう少しうまくやっていたら、それこそ神作品になっていたと思います。設定とか世界観とか伏線の張り方は良かったのに、後半でそれを回収しきれなかったのが非常にもったいないです。ひなの脳に接続していた量子コンピューターが除去されて、それでもなお、ひなの中には陽太への思いが残っているという大筋自体は悪くないと思います。ただ細かいところでもったいない部分が多い気がします。

例えば、ひながいなくなった後の陽太の生活。そこには色がなくて、何か足りない気がして、何をしても埋まらない喪失感と、ひながいなくなる時に何もできなかった無力感を抱えながら生きていくという描写を、もう少し丁寧に行うべきだったと思います。それこそCLANNADで渚を失った朋也が、うつむきがちに生きている様子をそれなりに長い尺を使って描写したような、そういう丁寧さが欲しかったと思います。そうでないとなかなか感情移入できません。下手したら、陽太はひなのことを引きずりながらも、結局忘れて、目の前の鈴木少年と一緒に秋以降も楽しんでるじゃねぇか、とすら思えます。もちろん忘れようとしても忘れられなかった、という展開になるのですが、だったらもう少し「忘れられなかった」という部分を強調しても良かったのではと思います。

そして、鈴木少年をあれだけサブ主人公のような扱い方をしながらも、陽太を施設に送り届けた後、一切物語に絡んでこない。ひなの正体を暴き、そしてその罪悪感に苛まれて陽太を施設に送るだけの、ご都合主義的な役でしかなかったことが一目瞭然。その程度の役なら、モブ役でも十分だろう。どこぞのモブがひなを追い詰め、その後施設に入れられたことは天願あたりから聞かせてやればいい。鈴木少年をサブ主人公にするなら、ひなと鈴木少年には共通のルーツがありました、くらいの設定をつけるべき。というか、恐らくそういう設定なのでは……だったら作中で明言するべきだったと思います。興梠博士に関しても同様です。

加えて、変わり果てたひなと陽太の描写が雑です。ひなが男の人を恐れるようになった理由は、口でしか語られません。おかげで理解はしてもいまいち納得できません。第三者的に物語を俯瞰してしまうからこそ、感情移入できない。陽太も随分と不器用が過ぎる。何度話しかけて拒絶されを繰り返せば、学習するんだ?そんな描写は2,3回もすれば十分でしょう。こちらがめちゃくちゃ感情移入していればその描写も成立するかもしれないが、俯瞰してみると腹が立つ描写でしかありません。

あと、挿入歌の切り方がもったいない気がしました。「宝物になった日」「夏凪ぎ」共に「青空」や「一番の宝物」に匹敵するほどの名曲だと、自分は思っています。特に夏凪ぎがもったいない気がします。最後までこの切り札は取っておいて、EDで聞かせるように流せば、もっと刺さった気がします。

 

最大の敗因は、前半で視聴者を作品に引き付けることができなかったことだと思います。何度も書いていますが、いまいち感情移入できなかったと思います。後半の展開は、前半で感情移入させて、視聴者に身をもって「ひながいたあの夏はとても楽しかった」と思わせるからこそ、成立する物語です。逆を言えば、前半で感情移入できないと、後半全くついていけません。

前半で感情移入できなかった原因は、自分にもわかりません。分かっていれば今頃脚本家としてデビューしています。Angel Beats!の時は、死んだ世界というぶっとんだ世界観にもかかわらず、あれだけ感情移入できたというのに、何が違うのでしょうか。

一つは、ギャグの上滑りが多すぎたことかな?少しくらいなら滑ってもいいと思うのですが、あまりにも滑りすぎると、何なんだこいつらとしか思えなくなります。

後はメタ的なところですが、真冬に夏の物語を見ても、ちょっと……。

あとは、メインヒロインであるひながノリツッコミを多用したのも、もしかしたら良くなかったのかもしれません。笑えばいいのか萌えればいいのか、受け手としては複雑な気分です。

 

今回は「原点回帰」というキーワードを出し、インタビューでも「KanonAIRのような純粋に泣けるお話を作る」と言っていましたが

麻枝さんの中での原点回帰と、麻枝さんのファンが思い浮かべる原点回帰に、認識の差があったのかなと思います。

足し算ではなく引き算などと言っていた気がしますが、この引き算を、恐らく間違えたのでしょう。少なくとも自分は、AIRの真似事を見たかったわけではありません。今にも倒れそうなヒロインが、ふらふらと前に向かって歩いていくことが原点回帰ではありません。自分は原点回帰と聞いたときに、「純粋な親子愛や家族愛と、それを取り巻くセカイ系の物語」がまた見れるんだと、そう思いました。

確かに、家族愛みたいなものは節々で描写されていましたし、姿形が変われど愛は続いていく、みたいないかにも麻枝さんらしいテーマは受け取れました。確かLong Long Love SongのSupernovaも似たようなテーマの曲だったような……?

ただ、第一弾の予告PVで流れていた「彼女は目覚めた 世界の終わりを見届けるために」というフレーズは、どこで回収されたのでしょう?

自分はこれを見たとき、バッチバチのセカイ系で勝負しに来たと思っていたし、多分麻枝さんのファンは全員そう思ったことでしょう。

しかしふたを開けてみれば、ひなの中の量子コンピューターを取り除いて、はいおしまい。何ともあっけないものです。この点では、麻枝さんのファン歴が長い人ほど、裏切られたという気持ちだったのではないでしょうか。セカイ系と見せかけて、実は奇跡も魔法もない世界でしたという古参勢向けの仕掛けだったとしても、面白い試みだとは思うけどそれ以上の発展性がない気がします。

 

ここまで約4,000字書いて散々なことを書いてきましたが、これでも自分は麻枝さんのファンのつもりです。というか、ファンでもない限り4千字も書けません。

実際に、メインのお話はダメダメだったけど、OP、ED、挿入歌はすべて高いクオリティだと思います。今でもよく聞いています。OPは麻枝さんにしては珍しいアップテンポな曲で、それなのにどこか切なさも感じれるのがすごいと思います。

そもそも、今回これほど批判を浴びるのは、みんなが過度に期待していたことの裏返しです。それこそ2000年代は出す作品すべて一級品で、失敗作はなかったと思います(自分は智代アフターも成功と思っています。商業的には分かりませんが)。だからこそ、これまで神作品を出し続けてきたのなら、今回もきっと素晴らしいに違いないと、つい期待してしまいます。今回は宣伝にも力を入れて、予告PVもキービジュも複数用意して、期待感を煽りましたからね。

しかし、成功し続けたクリエイターなんていません。エヴァを作った庵野さんだって、劇場版のQで大失敗して、でもシン・ゴジラで復活しました。

麻枝さんもきっと、いつか本当に復活する日が来ると、信じています。

それは今作っているHeven Burns Redかもしれないし、もっと先の作品かもしれない。

というか、お話はともかく、曲作りは復活してからだいぶ名曲を連発している気がします。Long Long Love Songもそうだし、Satsubastu kidsもいいし、サマポケのグランドEDも素晴らしい曲です。とある知人が「麻枝さんも丸くなったね」と言っていました。自分もこれに同感ですが、この丸みが、お話の点では悪い方に働いたけど、曲に関してはいい方に働いていると思っています。なのでしばらく作曲活動に専念して、英気を養うのが一番いいのかなと思います。

 

泣きゲーの神と呼ばれた麻枝さんにも、ついに神様じゃなくなった日がやってきました。でもまた立ち上がって、凡人の自分の想像を遥かに超えてしまうような、そんな作品を引っ提げてやってくる日を楽しみにして、本記事を書き終えたいと思います。もう5千字も書いてしまいました。