松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

過労死マラソン第2コーナー

魔の数字3という言葉がある。

魔の数字とは宗教によって異なったりするため、この世界の全ての魔の数字を集めたら、だいたい全部が魔の数字となる気がする。

それこそ大富豪のローカルルールを全て適用すると、ほぼ全てのカードが効果を持つ、みたいな現象が起こるのではないだろうか。

 

自分が書いた魔の数字3とは、入社後3日、3週間、3ヶ月、3年で辞める人が多いという都市伝説だった。

しかし確かに、入社後3日と3週間のタイミングは、体がひどく重くて、ただでさえ少ない会社に行く気力が更に削がれて、思わず辞めたくなった。

それでもちゃんと会社に通い続けたのだから、我ながら殊勝な心がけだ。こんな日々をあと40年も続けないといけないと思うと、絶望甚だしい。

 

しかし魔の数字3のうち、3日と3週間は超えた。

5月に入ると、ゴールデンウィークがあるのが何よりも救いだ。といってもその全てが引っ越しと一人暮らしの構築だけで終わってしまったのだが。

しかも悲しいことに、5/1,2は暦通りに平日である。中堅企業の悲しい実態である。

その5/1,2は、1年先に地獄へと足を踏み入れた新入社員の発表を聞く会だった。各個人にテーマが与えられ、その中間報告を聞く様はまさに研究室のゼミだ。まさか会社に入ってもそんなことをするとは思わなかった。しかも発表を聞くだけではなく、その日の発表のうち1つをくじ引きで選んで、要旨をまとめて提言までしないといけない。これは随分とハードな仕事だった。

 

2日の夕方に、駅前で鍵を受け取り(本当は5/3契約だが、特別に2日の夜に鍵を受け取る算段にしてもらった)、自分の部屋へ向かった。

実は自分の部屋の周辺を散策するのは初めてだったが、歩いてみると何とも言えない残念感が漂う街だった。交通の流れが悪すぎる信号、メイン道路から一歩外れるとそこには狭すぎる路地があり、綺麗な注文住宅の隣にはトタン屋根が剥がれた木造の廃墟が並ぶ。個人的にはこういうチグハグな街は好きなので、既に親近感を覚えた。

 

3日はGW初日。

この日は午前中に宿舎を退寮した。この1ヶ月で荷物は膨れ上がり、スーツケースとリュックとサコッシュ?と通勤カバンを持って移動する様はさながら行商人のように見えただろう。

自分の部屋に着いたら、帰りの電車の時間がくるまで買い出しだ。これまた残念感の漂うショッピングモールは、意外と最低限のものは揃えられる優秀な施設だったので、時間いっぱい買い物をした。実家に帰るためにはいくつもの電車を乗り継ぎ、3時間以上もかける必要があった。もはや車で帰った方が早いまである。

 

4日はとにかく忙しかった。午前中に山ほどの書類をやっつけ、午後は引っ越しの搬出を行い、その後すぐに研究室のメンバーと飲み会である。

この飲み会は自分が初めて企画した飲み会ではないだろうか?以前にもっと大人数での企画を立てたこともあるが、自分の運と人望が足りず、案の定流れた。あの時は自らの浅はかさに絶望したものだ。

今回は4人とちょうど良く、更に企画はしても遂行は別の人に投げたおかげで、随分うまくいったものだ。お好み焼きはとても美味しかった。

 

正直、自分は人の縁とは脆いものだと信じていた。

秒速5センチメートルでは、お互いがもう一度巡り会いたいと願いながらも、終ぞ出会うことはなかった。小学校の時に互いに対する想いを認識しあった2人は、中学校の時に転校して離れ離れになった。その時はまだお互いに関東圏内だったので、意を決して会いに行くこともできたが、今度は片方が鹿児島へ転校し、いよいよ会いに行くことも難しくなってしまった。それでも文通は続けていたが、気付けば手紙も途絶えて、2人の縁は完全に切れた。昔の映画なので、携帯電話もまだ普及していなかった時代だ。

誰かを想う気持ちは、時の流れと運命によって、簡単に打ち砕かれてしまうものだ。

そのことは、身をもって体験している。実際に、小中高校生の時に交流があった人達とは、いま誰一人として連絡ができない。同窓会にも入っていないので、ほぼ間違いなく二度と出会うことは不可能だろう。

大学でも、学部自体の友人とはほぼ連絡が取れない。研究室でも、当時あれほど好きだった先輩方とは卒業以来一度も会っていない。

結局のところ、人と人を繋ぎ止めるのは縁ではなく組織なのではないか、と思ってしまう。

同じクラスだから、同じ授業を取っているから、同じ研究室にいるから。

私たちは、ただそれだけの理由で、辛うじて繋がっているだけの弱い縁でしかない。

だから、自分も研究室を出たら、研究室関係の人達とは二度と出会うことはないと思っていた。

 

今回のケースが秒速5センチメートルと違う点を挙げるとすれば、インターネットの発達と、出会った時には自らの人生を制御できるだけの力を持っているほど成長していたからだろうか。

まぁ前者は実は文通と同じレベルなので、後者の要因が大きいのだろう。作中の彼らとは異なり、当事者同士が望めば、もう一度巡り会うことができる。それだけの力を持った大人になれたことが、子供のように嬉しかった。

もしかしたら、人生の中でもかけがえのない出会いを果たした可能性がありそうなので、そう思い続ける限り、もう一度会うことを諦めないよう努力しようと思った。

 

5日は朝早くから実家を出て自分の部屋に向かい、引っ越しの搬入と洗濯機の設置である。このハードスケジュールを支えたのは、前日に後輩がくれたワッフルと、歓送迎会の時にくれたかきたねである。これがなかったら餓死していたかもしれない。もはや命の恩人である。

 

6,7日はひたすら部屋のメイキングである。車がないのでショッピングモールを数えきれないほど往復して、呆れるほどの段ボールの山を積み上げ、何とか自炊できるシステムを確立して、今年のゴールデンウィークは終わった。

 

8日の地獄感は半端なかったが、研修はとてつもなく楽な上に、自分の部屋から通うという事実が心の支えだった。やはり宿舎ではマイホーム感がない。宿舎よりだいぶ会社に近くなったので、起きる時間も、乗るバスも変わって、とにかくQOLは爆上がりだった。自分の住んでいる場所はマイナーな街なので、特に帰りのバスには多くても3人しか乗らない。こうしてブログを書けているのは、まさにこのバスのおかげである。

 

つまらない研修もあと3日で一区切りとなる11日、今日は最終成果の本発表に備えた仮発表日である。

この前日から発表資料を作り始めて、初めて調査不足の場所が明らかになるのだから、研究室で何も学んでいないことがよく分かる。何度同じ過ちを繰り返せばこの人間は覚えるのだろうか。

研修の最初に調査の順番は立てたつもりなのだが、それを遵守できていなかった。言うは易し行うは難しである。

 

12日は金曜日。意識を改めて、人の誘いに積極的に乗る方針にした僕は、仕事終わりにわざわざ名古屋の近くまで出て、気が合いそうな同期と炒飯を食べることにした。

しかしその中華料理屋は随分と並んでいたため、これを諦めて、急遽ラーメン屋をはしごすることになった。しかも最後の店はマックに落ち着いた。何だかよくわからない会だったが、楽しかったので良しとしよう。自ら望んで見た景色はもちろん好きだが、他人に連れて行かれて見る景色は、自分一人では見れない良さがある。それが自分の性に合わないのなら、今後の人生の参考になる。明らかに好みでない場合は流石に敬遠するかもしれないが、そうでない場合はこれからも積極的に色々な景色を見に行こうと思う。そういう営みが、人生の流れる速度を少しだけ遅くするような気がする。

 

ゴールデンウィークは引っ越しという労働に従事していたため、一人暮らしが始まって最初の土日は13,14日だ。

この1週間は疲労が酷かった。仕事中はともかく、一人で過ごす時間は気付けば頭の悪い妄想ばかりを繰り広げていた。あまりにも酷すぎてここにはあまり書けないのだが、例えば物が少ないおかげで意外と部屋が広く使えるので、もう一人住めそうだな……とかそういう妄想である。疲労は思考レベルを限りなく低下させることがよく分かる。土曜日に沢山寝て、ようやく非生産的な妄想を抑えることができた。別に妄想することが悪いことだとは思っていない。特に自分はこのまま行けば独身のまま人生を過ごすことになるので、せめて頭の中くらいでは幸せな世界線を想像しても良いと思う。ただ、それも度が過ぎると非生産的だし、一番怖いのは、いよいよ頭が壊れた時に、妄想と現実の境目を見失い、おかしな行動を取ってしまう可能性が出てくることにある。そんな妄想を拗らせた奴が、きっと性犯罪者になるのだろう。変態になっても変質者になってはいけない。

 

15日、約10日間続いた個別研修の第一回の最終日。他のチームもそうだが、自分たちのとこも発表会だ。発表10分質問10分で20分。随分と楽だ。

協議の結果、自分はトリになってしまったが、これまで嫌というほど発表してきたせいで、特に思うところもなかった。発表前の緊張感は少しあるが、どうにでもなるしどうでもいいという感覚で臨んだら、意外と好評価だった。発表慣れしてきたおかげだろう。俺たちが今まで積み上げてきたものは、全部無駄じゃなかった。

 

16日は個別研修第二回の始まり。

久しぶりに手を動かして実験をすると、それなりに楽しいもので、そこまでやる気はなかったのだがまあまあちゃんと考えてしまった。雰囲気も良いので、体力的には辛くても楽しくやれるのかもしれない。でもどこも初日くらいは楽しく演出するか。ダル絡みしてくるあたりは、研究室と似ている。

 

18日は中間発表の前日。発表資料を作ろうとしたら、突発的なディスカッションが始まり、その結果、どうやらこちらの仮説には足りない要素がいくつかあることが分かった。また勝手に全てを理解した気になっていた。自分の悪い癖だ。

 

21日にようやく、全ての書類を片付けた。気持ち的には、ようやく引っ越しが終わった気分で、とても気分が良い。これからは「やらないといけないのになぁ」という後めたい思いをしながらゲームをする必要はない。結局ゲームしてるじゃねぇか。

 

最近、失言が多くなってきた。環境への慣れと疲労の蓄積から、脳のリミッターが外れて、言わなくてもいいことを言ってしまう。別に失言することで周囲からの評価が下がること自体はどうでも良いのだが、評価が下がることにより必要のないヘイトを買うのはもったいないので、気を付けなければと思う。

そんなことを思った26日、今日も先輩社員の発表会である。同期のみんなはどうせ真面目に聞かないだろうと踏んで自分も聞き流していたら、意外とみんな聞いていて、何なら理解していてびっくりしてしまった。どうやら意識が低いのは自分だけらしい。

 

何度目かの土日。27日はようやくベッドが届いた。彼女か誰かと電話しながらベッドが組み立てられる様子を見続け、お駄賃として1,100円を払わされ、洋服をベッド下収納にしまった時には既に疲労が溜まっていた。収納力が少ないことも相まって、洋服を買いに行くのはやめようと思う。結局、誰とも会わないし、出社すれば会社が支給した服に着替えることになるのだ。

 

28日は一転、周囲をお散歩することにした。翌日以降の天気があまり良くないこと、気温と気候的に散歩に適する最後の日だと思い、自転車には乗らずに敢えて散歩することにした。実際に、自転車ではなかなか見て回りづらい商店街などを見て回ったため、歩きで良かったと思う。

ちゃんと歩き回ってみると、意外にも風情のあるもので、独創的な石像やノベルティ、資料館に入ればその土地の昔ながらの姿なども確認できて、面白かった。

 

30日は研修の第3ターム開始日。

今回は随分内容が難しくなりそうだ。結局最後はトレードオフの関係になるのだが、それにしても市場を埋めた後の製品の改善案など、新入社員に浮かぶわけがない。メンバーは良いので、適当に遊びながら研修を過ごそう。別に行きたい部署ではない。

 

行きの電車の中で、あるいは帰りのバスの中で、こうして文章を書き続けた。

そこには何の意味があるのだろうと、ふと思ってしまう。

備忘録?しかしその存在すら忘れ去る。

言語資産?自分の言葉に価値はない。

暇つぶし?だったらゲームをすれば良い。

結局のところ、社会の歯車に取り込まれることに対するほんの些細な抵抗の表れとして、このように文章を書いて、日々社会に溶け込んでしまう過程を記して、後から見返した時に自分の心のハリのなさを自覚するために、こんな文章を書いているとかそんなところだろうか。

実際、既に会社というものは随分とぬるいものだと思ってしまう。成果を出しても給料は上がらないし、成果を出さなくても対して給料は下がらない。であるならば、どれだけ楽に働くかが大事だと思ってしまう。そうして手を抜いて働く人生に、メリハリなど存在しない。だから日本の労働生産性は対して上がらないし、働けば心の抑揚は次第に失われて、気づけば街の居酒屋で愚痴を垂れ続けるサラリーマンと化すのだろう。

日本は一応資本主義のはずなのだが、少なくとも大企業の中で起きている現象は共産主義に近い労働体系ではないだろうか、とさえ思う。

昔であれば、もう少し日本人にもガッツみたいなのがあり、先進国に追い付け追い越せの精神で、性善説的な労働システムでも成立した。しかし現代は、どれだけ頑張っても会社も社会も世界も変わらない無力感ばかりが蔓延して、頑張ろうとする気力は失われてしまった。給料は成果を問わずおよそ一定となり、終身雇用制が残ると、頑張らなくてもとりあえず人生安泰であることに気付いてしまったのだ。

 

入社2ヶ月目は、まだ5千字以上書けた。

来月は、どれくらい文章が減るのだろうか。

文章の減少は、心の減少であると思う。

さあ今日もブルシット研修。