松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

落城

『人は城、人は石垣、人は堀』

戦国時代の名将・武田信玄の名言である。

無論、これは比喩である。決して壁の組成が巨人とかそういう話ではない。

この名言は、"城を構成する最も重要な要素は人である"ということを意味している。

良い人が集まることで、城は機能を果たし、国は機能を果たす。

その点、自分の城には自分一人しかいない。人は城というか人=城みたいな感じで、自分がダウンすることは即ち落城を意味する。

今回は、書こうと何度も思い立っては、先延ばしにしてきた、半年前に起きた落城の話を書こうと思う。

 

落城の様子は、このブログの記事として複数残っている。

"悪魔の証明"で、落城が始まった。

 

matsumaehansyu.hatenablog.com

そして"無能という不治の病"から"真なる断罪に向けた最初の一歩"にかけて、落城の様子が詳細に描かれ、"史上最も苦いバレンタイン"で部分的ではあるが持ち直した様子が記されている。

 

matsumaehansyu.hatenablog.com

これらの記事は当時の感情を前面に出して書いていたため、一旦これらの記事を、未公開情報と抱き合わせながら冷静に整理してまとめるという総集編のようなものを作ろうと考えて、前座2本も書いておきながら、今度は過労死マラソンシリーズを始めてしまった。

会社に入って3か月が経ち、ようやく生活が安定し、3連休で時間もできたいま、改めて当時を振り返ろうと思う。

 

まあ"悪魔の証明"を読むだけでおよそ見当はつくと思うのですが、

やはりうつ病、ということでした。

正確にはうつ状態、という感じでしょうか。臨床心理学的には、うつ病ではないという扱いです。

うつ病の要件には、2週間以上の継続性が挙げられます。

奇しくも自分が心理学の課題で調べた知識が、こんな形で活かされるとは考えていませんでした。当時の自分は、未来の自分に向けて手を差し伸べてくれたのでしょうか。

この継続性を、自分は満たしませんでした。症状自体はほとんどうつ病で確定ですが、ギリギリのところでまだ正気を保っていたところと、2週間の実家療養を経て症状の多くがある程度寛解したことから、結果としてうつ病ではないという診断結果が下りました。

 

しかし、社会復帰にはまだ早すぎました。

"史上最も苦いバレンタイン"の最後に書いたように、

健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの意欲"が回復した"いう意味であって、"研究室に行く意欲"は回復していない。

史上最も苦いバレンタイン - 松前藩主の黒色Diary

からでした。

メンタルクリニックでは、前者の意欲が回復しました。では後者の意欲は、どこで回復したのでしょうか?

その答えは、先ほど出てきた"心理学の課題"の授業を担当していた、心理学の先生です。

 

その先生は目に見えて優秀で、40代で既に教授になっていました。しかも今は子育てと並行して研究活動をしており、恐らく多忙の極みだったと思います。

その中でも、自分と二度にわたり、それぞれ1時間半も対談してくれた、間違いなく恩師の一人です。

その対談の中で出てきた話が、まさに"落城"の話だったのです。

 

最初に言葉の定義をすると、ここでいう城というのは、広く言えば自分の心、もっと言うと心の中にある哲学や思想体系のようなものです。ただ、これらは概念的で掴みどころがないため、先生はこれを城と表現した、と思います。

言うなれば今回の出来事は、まさに城が崩れ落ちたという話でした。

 

最初に城を作ったのは、高校から浪人あたりの頃でしょうか。

中学までは、悲しいことに自分の生き方みたいなものを考察するほど、頭は良くありませんでした。その頃は教科の中では社会が好きだったので、よく社会について考えていたと思います。案の定周囲の環境に溶け込めず、いじめられていた身としては、社会の行く末を予想して、それにいち早く適応することのほうが、よほど重要なことでした。

しかし、高2の時にあるアニメ(たち)を見てから、人生観が一変します。

「泣いてる君こそ 孤独な君こそ正しいよ 人間らしいよ」

自分の人生観に影響を与えたアニメの劇中歌の歌詞です。

何となく周囲に、環境に、社会に溶け込むことが、正しい生き方だと勘違いしていた。

そうやって彼らに迎合する人生は、本当に楽しいのか?

実体のない仲間意識に縛られ、本来何の効力も持たないはずの仲間内の暗黙の了解から少しでも逸脱すると、簡単に仲間外れにされる。

そんな共同体に身を置き、仲間規則に忠実に則って、自我をなくして生きている彼らは、正しいと言えるのか?

そんなことはないはずだ。

むしろ一人で、一人きりで社会に対して真っ向からぶつかって、返り討ちに遭って、泣いてるような奴こそが、人間らしく生きているんじゃないのか?

 

考え方が、ある意味で集団の内側から外側へと変化したことで、主観的な世界の捉え方が一変しました。

仲間規則を理解するのではなく、社会や世界の真理を理解すべきだと思い、その探索を始めました。

そうして集めた真理を積み上げて、最初の城が完成しました。

 

そうして世界理解に努めていましたが、そこには一つの大きな要素が欠けていました。

それが、仲間集団の理解です。

もちろん、外側から観察して、同じ利害関係にあるとか、同じ趣味嗜好を持つとか、あるいは学校の教室のように、外部要因でしかたなく一つの箱に押し込められているとか、そういう観察はできます。

しかし、その内側に身を置くことはしていませんでした。

どうせ内側に入っても、仲間規則に縛られるか、異質なものとして排除される未来しか、想像できなかったからです。

そんな自分が、久しぶりにこの共同体なら入っても良いと思えるものに出会いました。

 

それが研究室でした。

そう思えた理由は省略しますが、一言でいうと、自分と近い境遇に見えたからです。

世界の片隅で、誰にも目を向けられることもない学問を細々と行って、競争とは無縁の場所で世界理解に努めているような研究室にいる人たちであれば、根本的に何かを共有できるという期待を持ちました。

そして、願わくばその共同体の維持発展に役立ちたい。そんな思いから、数年ぶりに積極的に共同体に参画することを選びました。

 

しかし、ここで自らが打ち立てた城を振り返ってみると、共同体の外側だけを理解するために作られた城であったため、共同体の内側に対しては滅法融通が利かないのです。

つまるところ、自分の城の最大の弱点を、自ら突くという愚行を犯していたのです。

そんな日々を積み重ねて、最後に城は陥落することになりました。

理性と感情が矛盾し、ごちゃ混ぜになり、カオスになり、その中から真理と思わしき最大公約数を取ったところ、どうやら死んだ方が良いという結論でした。

まあ今でもこの結論は、究極的には正しいと思っていますが。

 

その結論を実行する寸前で踏みとどまれた原因は、意外にもとあるYouTubeの動画でした。


www.youtube.com

"恋愛だよ友愛だよって言うと、「俺にはそれはできない」みたいになっちゃう奴が出てくる。それは残念だけれども、「自分が色んな能力を持たなきゃいけない」と思ってるからだよ。そんな共同体って無いよもともと。僕の言い方だと凸と凹の組み合わせなんだよ。(中略)できるやつとできないやつ、それが凸と凹の組み合わせになって集団パフォーマンスを上げられればいいだけでしょう。これは仲間を作れとか家族を作れっていうときにも全部当てはまるんです。"

 

自分の犯した過ちをこうも的確に言語化され、しかも処方箋まで提示されたとなると、それを試してみてから考えてもいいんじゃないかと思うようになり、最もしんどい時期を乗り越えました。いつだって自分を助けてくれるのは自分だけであり、自分を変えてくれるのは誰かの存在ではなく、アニメとか動画でしかないというのが自分の人生の薄っぺらさを強調しますね。

そう言えば、同じ動画の中で、

"自分が困ると、助けてくれるやつがいるかいないか分かります。その時助けてくれるやつはいます。だったらそいつと友達になれば良いんですよ。"

と言われていましたので、どうやら自分には友達がいないことが証明されてしまいました。それなりにプレゼンスを発揮したはずの研究室という共同体の中で、自分を助けようとしてくれたのは教授ただ一人だけでした。

 

まあ自分に友達がいないという事実は自分の中では理解していたので、特に何とも思いません。そんなことより大事なのは、共同体がどう形成されてるかを、一つの言説ではありますが理解することができたことでした。

そのかすかな希望の光を頼りにして、少しずつ社会復帰していきました。

そして最後に、心理学の先生の目の前で、自分の崩れ落ちた城を見てもらうことになりました。

 

自分は最初、城を修理することを考えていました。もはや今の自分には、それなしでは生きていけないと考えていたからです。

しかし先生が提示したのは、"穴を急いで塞がない"選択肢でした。

城に穴が開いた状態で、しばらく生きてみてはどうか。

想像もできない答えでした。落城したまま放置する城主なんて、いるわけもありません。

しかし先生は、"まず自分の城を持っているだけで偉くて、他の人はそもそも持っていなかったり、もっとみっともないんですよ。だから穴が開いたまま行っても大丈夫。そのせいで誰かを傷つけたのなら、開き直ってお菓子でもあげながら謝れば良い。急いで穴を塞いでも、また同じ場所に穴が開くんじゃない?"

その通りだった。一度完成したはずの綺麗な城を、もう一度復元したいという思いが先行して、その構造上の欠陥まで目を向けられていなかった。

しかも人生と言うのは、綺麗な城のようなものになることは到底なくて、だいたい増改築を繰り返して変な構造になっているものだ。

だから、綺麗な城を復元すること自体がナンセンスで、時代に合わせてアップデートしたり、あるいは誰かの城を見に行って、別の設計図を入手して切り替えていくのも良いんじゃないか。それが合わなければまた変えればよい。そうして最適化していけば良い。

 

そんな考えの下、最近はすぐに何かを判断したりせず、一度取り込んでみる、という選択をよくしています。何かに誘われたら、すぐには断らず、どちらかと言えば一度参画して、判断するようにしています。まあ誰かも何も誘われないので、結果的には以前と似た感じになってきていますが。

誰か一人くらい、お互いに城を見せあうことができるような人がいてくれれば良かったのですが。残念ながら友達すらいないので、どうにもなりません。

おまけに中学の時に、随一の親友に突然別れを告げられたトラウマも抱えているので、自分の中に設けられているハードルも高く、なかなか難しい状況です。

結局、以前と同じ城に改修工事を施しただけで終わる可能性もありますが、とりあえずしばらくは、ある程度の柔軟性を持たせて生きていこうと思います。

 

これが、前座2本も書いてまで書きたかった本題の話です。

こうして見ると、随分と薄っぺらいものですね。

そんなところで、このブログもそろそろ限界な気がしてきました。

畳むことはあまり考えていませんが、またしばらく寝かせる日々が続きそうです。

それではみなさんおやすみなさい。