松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

前座2「積雲が消える日」

※小説風日記です。

 

Day1"雲の上"

 

 さて、小説のような物語性のある文章を書き始めようと思ったとき、恐らくほぼ全ての書き手は、その書き出しから苦労することになる。なぜなら、いい書き出し方をして読者の心を掴まなないことには、自分の中で自信がある物語の中核を成すシーンまで読んでもらえないからだ。

これが例えば評論文であれば、大抵結論から書き始めれば、とりあえず体裁を成すのだろう。評論は体裁がしっかり決まっていて、それに則ることが定石だ。

もちろん小説にも体裁は存在するが、最近は小説が増えすぎてしまって、テンプレートに当てはめるだけの小説では、見向きもされない時代になってしまった。だから近年の小説はもはや現実世界で勝負することを諦め、異世界に主人公を飛ばすものが多くなったのだろう。それすらテンプレートで、逆に異世界に行った後に現実世界へと戻ってきて、異世界の能力か何かを駆使して現実世界で無双する物語も出始めてきた。そうしたら今度は、小説の主人公に転生した主人公とかいうメタ的な物語まで出てきて、もう訳が分からない。そう、今書いているこの文章並みに訳が分からないのである。

 

 まとまらない思考を一旦取りやめ、重い頭を動かす。

現地時間の朝7時前に出発した格安航空の機内は、乗客の睡眠を妨げないためか、あるいは照明代をコストカットするために薄暗く保たれていた。かくいう自分も先ほどまで微睡んでいたが、微妙に寝てしまったおかげで、再び寝るには足りないが覚醒したとも言えない微妙な睡魔が頭の中に横たわっており、あまり良い気分ではなかった。

スマホは見れないし、本は読む気が起きないので、とりあえずぼーっと何かを思考することにしたが、その結果が先の文章だ。全く非生産的である。

仕方ないので、生まれて初めて乗った格安航空の機内でも観察するか。

試しに上を見ると、エアコンの送風口付近にカビのような黒ずみが出来ていた。

そして足元を見ると、よく足が置かれる位置だけカーペットが禿げて、他の部分と色が異なる様子が観察できた。

なるほど、これもあまり考えない方が良いらしい。

ならばせっかくの帰りの飛行機の中なので、今日までの海外旅行を振り返ることにしよう。

 

 ただ、実を言うと、今回の海外旅行はそこまで大きな刺激があるわけではなかった。研究室で3年間共に過ごした仲間と、日本から程近い台湾に行ったくらいでは、あまり大きな変化はないらしい。日本で見かけるコンビニが台湾でもあるくらい、台湾という場所には日本の文化が息づいていた。

だからだろうか、今回自分が海外旅行に行って気付いたことは、「人を愛する能力がない」という悲しい現実だった。

太宰治の名著「人間失格」でも、主人公はこんなことを独白する。

『人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

ちょうど、帰りの飛行機を待っている間、空港でその部分を読んでいたこともあってか、自分も全くその通りではないかと納得できてしまった。

それは、例えばお土産を選ぶときに、明確に可視化された。

旅行のお土産と言うものは、自分の関係者に最低限配れば良いものだと、考えていた。

そもそもお土産なんてものは、"私は君たちがあくせく働いている間に遠い地に旅行に行ってきたんだぞ"というエゴを表現するためか、むしろ畏まって"私は君たちがあくせく働いている間に旅行に現を抜かした非礼をお詫びします"という周囲への配慮を表現するための道具くらいにしか、思っていなかった。

もちろん、旅行先の特産品の一つでも持っていって、せめて彼の地の片鱗くらいは味わってほしいという思いが、ないわけではない。だから自分は、家族へのお土産として、それなりの烏龍茶を2種類購入した。

しかしそれは、言うなればスーパーの惣菜コーナーで見られる試食のようなものでしかない。試食はあくまでも商品のほんの一部でしかないように、お土産もまた本来あるべき姿から見れば、ほんの一部でしかないのだ。真に烏龍茶を堪能したければ、烏龍茶の茶葉の産地近くまで行って、現地の食べ物と一緒に味わうべきなのだ。だがその全てをいち旅行者が提供することは難しいから、せめて烏龍茶だけでも持って帰ってきて、試食程度の感覚でも味わっていただき、今後の参考にでもなれば、それでお土産の本分は十分果たせると思っていた。

 

 話を元に戻すと、自分の関係者は極端に少ないので、両親と研究室くらいしかない。そして前者は烏龍茶を用意し、後者は同期が適当に見繕ってくれるので、自分は後でお金を払うだけであり、もはやお土産は十分だと、一人満足していたのだ。

一人さっさとお土産を買い終え、暇を潰すように商品をぼーっと眺めていると、同期の一人が声を掛けてきた。

「研究室の直属の後輩にも個別にお土産を買っていこうよ」

一秒くらい、脳がフリーズした。きっと脳内タスクマネージャーを開いたら、CPU使用率は99%くらいだったと思う。

それでも何とかシャットダウンすることは避けたが、同時に世間とのずれを認識させられた。ふと彼らの手元を見ると、既にいくつもの紙袋を提げていた。

「こんなに買うのか!?」

「こっちは家族用と親戚用だ」

自分に関係者が少ないとはいえ、同じお菓子を何個も購入し、有名なお寺か何かでお守りも10個近く購入し、更に研究室全体に贈るお土産とは別に、個別にお土産を買うというらしい。

世間一般から見て、同期と自分のどちらが多数派であるかは分からない。しかし今この場においては、間違いなく自分は少数派であった。というか一人だった。

 

「なるほど、そういうものなのか……」

まるで自分だけがろくにお土産も用意できない冷淡で無愛想な人間に思えてきて、家族向けのお土産を追加購入する決意を固めつつ、後輩へのお土産を物色することにした。

しかしこれが難儀であった。グループに対するお土産であれば、話は簡単だ。そこそこ賞味期限が長く、数も多く、個包装で、無難な味のお菓子でも贈れば、それで良かった。お土産なんてものは、基本的には食品系が最適解と決まっているのだ。なぜなら、食べればなくなるからだ。

お土産は結局のところ、ある程度の体裁を保てば、あとは何を貰うかより、誰から貰うかの方が、よっぽど重要なのだ。好きな人からであれば、ちょっとセンスがずれていても許せるし、嫌いな人からであれば、例えドンピシャで好物を貰っても、"え、何でこいつ私の好きなもの知ってるのキモ"と思われるだけなのだ。

そして、グループには確実に自分を嫌う人間が存在する。ある言説では、集団のうち1割の人間とはどうやっても分かり合えないと言われている。個人的には、これでもだいぶ割合を低く見積もっていると思うが。

その点で、お菓子はお土産の最適解だ。お菓子はほぼ全ての人が好きだし、例え嫌いな奴から貰ったとしても、お菓子の味は大して変わらない。相当毛嫌いされていたら流石に無理だが。お菓子というワイルドカードは、誰から貰うかというパラメーターを除外できる強力な手札と言えるのだ。どんだけお菓子好きなんだよ。

しかしそのワイルドカードは、研究室全体へのお土産で既に使用してしまった。さすがに別のお菓子をあげるのは気が引ける。何より他の同期は、ちゃんとお菓子以外の形に残る何かを贈ろうと考えていたのだ。

 

 お土産の商品を、先ほどとは打って変わって、真剣に眺めだしても、そうすぐに答えが得られるはずもなく、途方に暮れていると、また同期が話しかけてきた。

「そういえば君の後輩のお土産にちょうどいいものがあったんだよね」

そう言って、彼は小さなジグソーパズルが入った筒を指さした。

その瞬間に、自分に対する失望感が心に充填された。

ありきたりかも知れないが、"自分が大切だと思っていた人のことを、こんなにも知らなかったんだ"という思いだ。

これがまさに、人間失格に出てきたセリフ。

『人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

曲がりなりにも、2年間も一緒にいて、好きなものの一つも知らなかったのか。

彼らが両手いっぱいに持っているお土産は、彼らが持つ愛の量に比例していると思った。

自分の手は、両方とも空っぽだった。

せめて彼の助言通り、ジグソーパズルを買っていこう。例えそれが、借り物の愛だったとしても。

 

 手元のバッグから、ジグソーパズルのケースを取り出してぼーっと眺めていると、飛行機のシートベルトサインが点灯した。

窓の外を見ると、飛行機は雲の中を突っ切って下降を始め、やがて遠くに空港らしき施設が見えてきた。

日本に戻れば、あっという間に卒業だ。

 

Day2"通り雨"

 

 随分長い間寝た時特有の、気持ちよさとわずかな気怠さを覚えながら、ゆっくりと目を開けて上体を起こす。自分の部屋のベッドで寝るのも、あと数えるくらいだ。

部屋には引っ越し業者から貰った段ボールがいくつか積まれていたが、それでも部屋の物はあまり減ったように思えなかった。無駄なものは買わないよう心がけていたし、無駄だと思ったものはなるべくすぐ捨てるようにしていたはずなのだが、それでも6年間の生活でさすがに物が増えたのだろう。

旅行から帰ってきた後は、一息つく暇もなく、引っ越しの準備が始まった。

旅行疲れも抜けない中、追加で引っ越し疲れも溜まるなか、今日は同期のみんなと午前から近くのスパに行く約束を……あ、これはマズい。

慌てて時計を見ると、11時だった。

これはもう無理だと諦めて、謝罪のラインを送り、一人げんなりしながら引っ越しの荷造りを続けることにした。

アラームをかける、という簡単な作業すら気付かぬうちに忘れてしまうほど、自分には他人を愛する能力がないらしい。

 

 そんな今日は、夜にもう一つイベントがある。研究室の歓送迎会だ。

これまた遅れそうになり、慌てて電車に飛び乗り、着いた場所は、お馴染みの居酒屋だった。

居酒屋に、お馴染みという修飾語が使えるようになったのも、研究室に入ったおかげだろうか。相変わらずそんな益体のないことを考えながら、とりあえず席に座ると、不意に声を掛けられた。

「お疲れさまです」

「ああお疲れ……って君か」

自分は長机の左端に座り、その更に左斜め前、ちょうどお誕生日席に当たる場所に、いわゆる直属の後輩がいた。

いわゆるというのは、決して世間からの認識に対して楯突こうと思ったわけではない。むしろ、自らの認識において、自分が先輩だったと思えないだけである。

 

 もちろん、同じ組織に属して学年が異なるという点で、広義の上では立派に先輩後輩だ。

ただ、先輩とは得てして後輩を指導するものであるという考え方が、自分の中では色濃く根付いていた。それは実際に、自分がまだ後輩だった時、当時の先輩から手厚く指導してもらった経験があるからだ。

だから自分が先輩の立場に立ったら、きっと色々なことを教えるのだろうと、その時はぼんやりと考えていたのだが、実際に自分が先輩になったとき、その妄想は簡単に霧散した。

その理由は単純だった。そもそも他人と良好な人間関係が築けないのに、誰かを指導するなど夢のまた夢だったからだ。

ましてや自らの世話で手一杯なのに、他人のことなど考える余地は、自分にはなかった。

だから本当はもっと色んなことを伝えるべきだったし、伝えたかったのだが、その効果的な方法を知らずに時は流れ続け、気づいたらもう外に追い出される時期になってしまった。

結局自分は、大したことは何も教えられなかった。

 

 そんな失望感を打ち払うように、頭を軽く振り、

「何も話すことがないなぁ」

そんな冗談半分のセリフを呟いた。

「台湾の話聞かせてください!」

そういえば台湾行ってたんだった。引っ越しで忘れていた。

「台湾のお土産ください!」

あ、そっちが本音か。

苦笑しながらカバンを探ると、あの時買ったジグソーパズルが出てきたので、とりあえず無言で渡した。もう少し何か気の利いた、包装なり言葉なりも付け加えた方が良かったのかもしれないが、残念ながら自分にはそのどちらも用意できなかった。

『人を愛する能力に於いては欠けているところがあるようでした。』

まるで呪いの言葉じゃないか。いつまでも解けない呪いが、日常の至る所で、自分の心を蝕んでいるようだった。一方で、その呪いをかけたのは間違いなく自分自身なので、なおさら救えない。

 

 歓送迎会は滞りなく進行し、途中こっそりこの日のために作った動画などを上げて、机のあちこちで自分の動画が流れてくるという現象に若干の恥ずかしさを覚えていると、送別会の企画が始まった。

簡単に言うと、自分の直属の後輩からありがたいお言葉と共にプレゼントを受け取り、その後送り出される先輩がありがたい言葉を述べる会である。

例年は数名が感極まったりするのだが、今年は先輩である我々はお笑い芸人に近い存在だったためか、終始笑いの絶えない時間が続いた。

名前的に後ろから2番目となった自分は、そろそろ空気が中だるみを始めたことを何となく察知し、それこそ笑い話でもして、手短に締めようと思った。

 

 それからのシーンは、今でも鮮明に覚えている。

しかもそれは、自らの非人間性を再認識するという、とんでもなく酷い形でだった。

結論から述べると、後輩が涙ぐみながら感謝の言葉を必死に伝える様子を目の前で見ながら、

自分の心がほとんど動かないことを、自分でも驚くほど冷静に認識していた。

流した涙の意味が全く分からず、ただその様子を頬杖をつきながらまじまじと眺めていた。

そして次の瞬間、自分が俯瞰視点であることに気づき、ひどい自己嫌悪感を覚えた。

ああそうか。

やはり自分には、愛の能力がないのだ。

共通感覚を失い、感情が劣化した成れの果て。

ここでこうして考えている自分という存在は、人の形をした、しかし人の心を持たない化け物だった。

 

『痛みも忘れて 夢さえ失くして

 いつしか血のない ただの人形と化していた』

深夜の街を歩きながら、無造作に耳に突っ込んだイヤホンからは、やなぎなぎの『Sad Creature』が流れていた。

 

Day3"積雲が消える日"

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』

方丈記にもそう書いてあるように、時の流れもまた不可逆である。

そんな当たり前の真理を、6年間過ごした部屋が引っ越し業者の手によって空っぽになっていく様子を見ながら、身をもって再確認した。

「それでは荷物の積み込みが完了しましたので、ご移動のほどお願いします」

それに生返事を返しながら、退去前の最終チェックを進めた。

そうして、二度と戻ることはない玄関に立ち、靴を履き替えて、部屋の方を向いた。

交友関係も少なく、あまりバイトもしなかった自分は、余暇を自分の部屋で過ごすことが多かった。

自分が、子供から大人になる間の繭のような場所だった。

「ありがとうございました。

 この6年間は、自分にとって宝物のような時間でした。

 本当に、ありがとうございました。」

生活の匂いが消えた薄暗い部屋に向かって、頭を下げた。

 

 駅まで続く道を、一歩一歩と踏みしめながら歩く。

6年間幾度となく歩き続けたこの道は、たった今、一方通行になった。進むことはできても、戻ることはできない。戻ったとしても、帰る場所がないからだ。

6年前、最初にこの街に降り立った時は、実家より閑散とした雰囲気に失望し、実際にこの街の不便さに悩まされた時もあった。

スーパーは遠いし、野菜や魚、肉の鮮度も良くない。品揃えも少ない。

遊べる場所なんてなくて、食べる場所も少なくて、早くこんな街から出て行きたいと思った。

それなのに、駅へと向かう足取りは、ひどく遅かった。

早くこの街から抜け出したかったんじゃないのか。

引っ越し業者だって、目的地に早く来てくれって言っていたはずだ。

どうしてのろのろと歩いているんだ。

どうして……泣きそうになっているんだ。

 

 空はあいにくの曇り空だった。夕方には雨が降る予報らしい。

そんなことを考えていると、電車がやって来た。

いよいよこの街を離れるんだ。

電車に乗る。扉が閉まる。

そして、電車は動き出す。個人の感情などに左右されるはずもなく、真っ直ぐ目的地に向かって走り出す。

呆然と、窓の外の景色を見ていた。

気付いたら、一人泣いていた。

このままでは、乗客に変に思われる。

だから気を逸らすように、家族に向けてラインを送った。

『この街を出発しました
ひどい街だと思っていたけど、6年間も住んでいると愛着ができるもので、空っぽの部屋にありがとうを伝えた後、泣きそうになりながら駅までの道を歩きました。
大学に入ってからしばらくは、大学に来ることに学位取得以上の意味はないと思っていたけど、この6年間で、たくさん失敗して、たくさん成長できたと思っています。
お父さんお母さん、本当にありがとう。』

 

 ああ、そうか。

自分はこの街が好きだったんだ。

この生活を、愛していたんだ。

それと同時に、数日前に見た後輩の涙の意味が、少しだけ分かった気がする。

見当違いだったら申し訳ないけど、きっと似たような理由で泣いてくれたのだろう。

自分には何もないと思っていた。

人には必ず備わっている、愛の能力さえも。

でも、こんな自分にも、わずかばかりでも、誰かを、何かを愛する能力があったんだ。

そして自分は、誰かに別れを惜しんでもらえるほどの何かを、残すことができたんだ。

いけない、また泣きそうになっている。

歳をとって、涙腺が緩くなったのだろうか。

いや、昔より人間らしくなったせいだと思いたい。

自らに人間失格の烙印を押すのは、もう少しだけ先にしよう。

 

 流れる景色を眺めながら、karutaの「一番の宝物」を聞いた。

『巡って流れて時は移ろいだ もう何があったか思い出せないけど

 目を閉じてみればみんなの笑い声 なぜかそれが今一番の宝物』

窓の外を見ると、雲の隙間からあたたかな陽射しがわずかに差し込んでいた。

そういえば、雲一つない青空というものはなく、目に見えなくても雲は必ず上空に存在するらしい。

しかし、これはチープで陳腐な表現かもしれないが、この時わずかに見えた青空の部分だけは、雲は一つもなかった。