松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

悪魔の証明

高校数学で学ぶ項目の一つに、数学的帰納法というものがある。

数学が大の苦手なのに理系に進んでしまった身としては、数学と名が付くこの項目は、むしろ計算力ばかり問われる他の分野と比べて、幾分取り組みやすいと思っていた。

実のところ、この数学的帰納法は、演繹的である。演繹と帰納は裏表の関係であり、演繹法は一般論から個別論を導き、帰納法は個別論から一般論を導く。

演繹法帰納法について具体例を出すと、八百屋かスーパーに行って、赤いりんごがたくさん並んでいるのを見たときに、

「1個目のりんごも赤い、2個目のりんごも赤い、...n個目のりんごも赤いのであれば、恐らくすべてのりんごが赤いのだろう」と結論付けることを帰納法といい、

「りんごはすべからく赤いものであるから、目の前のりんごも赤いのだろう」と結論付けることを演繹法という。そんなことを考える前にさっさとりんごを買ってほしいものである。

これだけ見ると、やっぱり数学的帰納法帰納法の一種ではないかと思うだろう。実際自分も、そのように思っていた。

しかし、数学的帰納法の証明方法について、もし以前学んだことがある人は、思い出してほしい。

与えられた命題が正しいという結論を導く際に、まずn=1のとき正しいことを判定して、次にn=kのときn=k+1も正しいことを判定する。両者を証明して、初めて命題の立証が完了する。

この時、命題自体の正しさは証明していない。つまり、n=1のとき正しいという前提(これを一般論ともいう)、n=kのときn=k+1も成立するという前提があることで、個別の命題の正しさを証明している。つまり、内容は帰納的に見えるが、論理構造は立派な演繹法だというのだ。

ここまでくると、もはや数学というよりかは論理学の内容に近くなる。高校数学の中で、気づかないうちに論理学も学んでいるという格好だ。

論理学は取っつきにくいく難しいイメージが先行するが、一度理解してしまえば、その汎用性は絶大だ。言葉も数字も、論理学の上に成り立っているからである。

などと偉そうなことを書いているが、実際のところ、ほとんど詳しくない。大学の講義で少しだけ論理学をかじったが、講師が終始意味不明なことを述べるので、全く理解ができなかった。しかし今となっては、もしかしたら実はとんでもなくすごい人ではなかったのではないかと思ったりもする。実際、時々配られるプリントは、手抜きながらも意外と分かりやすい内容をしていた。

 

さて、前座だけで軽く千字を越えてしまった。今の自分は修論の執筆もしているためただでさえ指を酷使するというのに、先日右人差し指と中指を段ボールで切ってしまい、余計にダメージが蓄積しているのだ。おかげさまでタイプミスが多くてなかなか進まない。なら前座で千字も書くなよという話である。

 

最初に数学的帰納法の話をしたのは、タイトルとも関連するが、この方法を応用することで、(自分にとっては)悪魔のような証明が成されてしまうから、である。

ちなみに、悪魔の証明の本来の意味とは、"ない"ことを証明することである。決して自分にとって不都合な証明のことを指す言葉ではない。

ないことの証明は、無理とは言わないが極めて難しい。例えば、スーパーにりんごがないことを証明せよと言われたら、スーパーの中を血眼になって探し回れば、何とか証明できるだろう。

しかし、自分がりんごを買っていない証明をすることは、時に困難を極める。生まれてからずっと、レシートを全て保管していても、レシートの出ない八百屋で買った可能性は?などといちゃもんを付け始めれば、キリがない。

あることを証明することは、指さしてそこにあるだろうと言えばそれで済むのだが、ないことを証明するためには、全ての状況においてそれがなかったということを証明しきらなければならない。

だがしかし、絶対にないとは言い切れないが、概ねないと言い切れる証明ができる。

そしてそれは自分にとって、悪魔のように心を蝕むような、残酷な証明でもある。

今回は、そういう話をする。まだ前座だったんだ。

 

一つ一つの出来事は、そこまで大したことではありません。

後輩のためを思って、改訂すれば数年後も使い続けられるマニュアルを作成したら、来年から全く別物に代わるため、頑張って作成したマニュアルの意味がなくなった。

当研究室を数年来悩ませてきた難問の解決の糸口を見つけた矢先に、新しい試薬に取って代わられた。

柄でもないのに、珍しくささやかな忘年会を企画したら、前日に中止に追い込まれた。

事実だけを羅列すれば、単なる挫折経験に過ぎません。この程度、誰でも経験済みです。

しかし、それだけでは済まされない理由が、2つありました。

1つは、これら3つの挫折が同時に襲い掛かってきたこと。

そしてもう1つは、言い訳できないほど努力した結果、全て報われなかったことにあります。

 

自分は、これまで本気で努力したことがありませんでした。

そうしなくても、生きてこれたからです。

それなりに頑張って、それなりの成果を出せていました。

それと同時に、努力の無意味さを様々な形で知っていました。

自分が難病にかかったこと。それが運よく完治したこと。

自分の想像を数段飛び越えてくる作品に出合ったこと。

人間をパラメータ化すると、初期値と成長値があり、これは生まれた瞬間から既に決定されていること。

自分の目から見える世界は、全て才能と運だけで構成されていました。

そういった、人の手が及ばない概念を持ち出すと、やれ逃げだの努力してないだのと、色々言う人がいます。

確かに、努力も大事な要因です。しかし、この努力すらも、才能の範疇です。

正しい方向に努力する才能。芽が開くまでじっと待ち続ける才能。そして何より、成長値こそ才能で決められているものです。

才能と聞くと、多くの人は最初から上手いことを思い浮かべると思います。それももちろん才能です。自分はこれを、初期値が高いタイプと形容しています。

しかし才能にはもう一種類あります。成長値が高いタイプです。

最初は人並みでも、ぐんぐん成長していって、あっという間にトップに躍り出る。これも立派な才能でしょう。

そういった才能は、後天的には得られません。恐らく遺伝子レベルで決定づけられています。

運は、これはもう不確定要素の極みなので、論ずることも難しいのですが、確かに存在する概念であると考えています。明らかに悪運が強いやつとか、身近にもいます。

翻って、人が運を御するのは不可能です。

才能と運を前に、人の子が努力しようとも、何の意味も持たないのです。

少なくとも自分には、成長値が低く配分されていたために、意味を持ちませんでした。

ただ、運だけは強い方でした。そういう家系に生まれました。

運も実力のうちと言いますが、実力を因数分解した時に、努力と才能と運で構成されるのだとしたら、ほんのわずかの努力と、あとは運だけで全て賄う形でもって、自分の実力は構成されていました。

ただ先述のように、運は不確定のため、運が悪い時は、平気で失敗します。

しかし自分からすれば、それは運が悪かっただけのこととして、片付けることができました。

そして強運のおかげか、真に失敗しそうな出来事ほど、運の力で切り抜けてきました。

高校受験も大学受験も就職活動だって、最後は運の力で勝ち取った結果だと、本気で思っています。大学受験なんかはその典型例で、自分が受けた年の、その方式だけが、例年と比べて異様に低い倍率だったからです。こんなの運以外の何物でも説明がつきません。有名私立大学で不祥事も特にありませんでしたから。

 

そんな自分が、珍しく本気で努力したのが、先の件でした。

そういえば名刺制作もそうでしたね。ちなみにまだ作る気は失せていませんよ。

名刺制作は失敗するはずがありません。いずれ完成すれば、それだけで成功です。

しかしマニュアル制作は、失敗すれば自分以外にも多大な迷惑がかかることが予想されました。

マニュアルを製作せずに、自分の担当回だけをその場で乗り切る選択肢や、他の仲間にある程度投げる選択肢も、もちろんありました。しかしそれでは根本的な解決にならず、この先何年も同じ問題に行きあたる可能性が考えられました。

それでもなお、マニュアルを作る必要はありませんでした。まだ見ぬ後輩の苦労など、知る由もないからです。

しかし、作ることにしました。最後は、自分の生き方のポリシーがものを言ったと思います。

 

自分の座右の銘は、一日一笑と、昔から決まっています。

小学生か中学生のときに、母親から教わった言葉です。

「1日に1個、どんなに小さな笑いでもいいから取ってこい」

別に我が家はエンターテイナーではありませんが、両親は共に個性的で、いつも笑わせてくるような愉快な人たちでした。

そんな家庭で育ったため、自分の至上命題は一日一笑と決まりました。

重く考えたことも、煩わしく考えたこともありません。むしろ誇りに思っています。

実際に、一日に一笑も取れなかった日もあるでしょう。それでも、あくまでも心掛けの問題であり、また明日チャレンジすればいいと、気楽に考えていました。

この笑いは、必ずしも面白おかしいことを言ってみせることだけではないと、考えています。誰かの苦労を減らすことなども、巡り巡って笑顔に繋がるはずです。

そういう想いから、マニュアル制作に着手しました。自分一人がここで苦しむだけで、この先で多くの人が楽になるのであれば、幸福の総量は増大するはずです。

引っ込み思案で面倒くさがりな自分が、本当に珍しく、複数のOB・OGにアポを取って当時の話をヒアリングして、好意で提供してくれた資料を基に詳細なマニュアルを作っていきました。断片的な資料と、現状に合わせた適応とで、マニュアル作成は割と大変でした。人生で初めてモンスターを飲んだのもこの時です。まぁ半分飲んで捨てましたけど。

自分の中では、苦労に苦労を重ねて、やっとマニュアルが完成しました。数年越しのブランクをほとんど埋めて、特に大きな問題も起こらずに終わりました。

 

やっと成功したんだ。運にも才能にも左右されない、確固たる自分の実力で、自分の周囲10名程度と、さらにこれに関わった何十名の人たちを、幸せにすることができた。

他の人なら、もっとうまくやれたかもしれない。それでも、何の才能も持たない自分が、努力だけで誰かを笑顔にすることができた、初めての瞬間でした。

ありがたいことに、慰労会のようなものまで開いてくれて、ようやく自分の実力に自信が持てました。まぁ慰労会は多分ダシに使われたのだと思いますけど。それでもありがたいことです。

そこで今度は、研究室を数年来悩ませる問題に着手することにしました。

最初はちょっとした閃きだったのですが、それが思いのほかうまくいきそうになったため、今度はある程度仲間に作業を委託する形で、解決に向けて動き出しました。

後半で、最初に取れたデータの再現性が取れなくなり、彼らも肉体的・精神的な疲弊を見せる中、自分も再度当事者意識を持って解決に乗り出し、最終的に難問をほとんどクリアすることができました。課題も残りましたが、以前と比べると大きな進歩がありました。

 

これまで成功しても失敗しても、全て運に任せていたせいで、個人の実力とは考えていませんでしたし、自分の努力に一切の自信が持てませんでした。しかし、ようやく自力で問題を解決する力を身に付けることができ、自信に繋がりました。

こうした実績があれば、少しくらいは自分の話も聞いてくれるだろうということで、仲間内でささやかな忘年会を開くことを計画しました。

コロナ前は毎年、研究室を挙げて忘年会を行っていたのですが、それも昔の文化になりかけていました。

こうした文化の復活や、仲間内でのコミュニケーションの促進や、未だに色濃く残る閉塞感を少しでも和らげるために、これまた引っ込み思案の自分が、一人一人に声を掛けて回り、何とか日程も合わせて、今年の最後も楽しく終われると、考えていたのです。

 

しかし、自分はここで、この世界の残酷さに直面します。

自分の努力が、全て無駄であったという事実です。

丹精込めて作ったマニュアルは、ただの紙屑と化し。

解決への糸口がつかめた難問は、別の要因で簡単に解決し。

自分の発案であろう分散型忘年会は、自分の所だけが、中止に追い込まれた。

自分は何か悪いことをしたのでしょうか。

そうだとしたら謝ります。何でもします。

だからこれ以上、自分から何も奪わないでください。

自分には、努力することすら許されないようです。

そうすることを、世界が許してくれないのです。

自分の努力の才能がないというのなら、それでも良いです。

もう二度と、出しゃばったり努力したり頑張ったり何かを成し遂げようなどという、大それたことは考えることも動くともしません。

だからせめて、何が悪かったのか、教えてほしいです。

いや結局、悪いのは、全て運だったのでしょう。

自分の実力の大半を占める運が、とことんマイナスに働き、自分のわずかな努力を、消し飛ばしていったのでしょう。

結局、何もできない、何も作れない、何も生まない、何の意味もない、人間だったのです。

自らの無能さ無価値さ愚かしさが、身体中を駆け巡って、最後は自分を殺しに来る。

いっそのこと、死んだ方がマシなんじゃないか。

そんなこと最初から分かっていた。それでも認めたくなくて、言い訳を見つけて、あの時はたまたま運が悪くて、時間が足りなくて、無理だったんだ、だから自分の実力不足なんかではないと、言い聞かせて、ここまで生きてきました。

でも今回ばかりは、言い訳できないくらい、頑張ってしまいました。

そう、つまり、松前藩主という人間は、いくら努力しても、どれだけ頑張っても、最後には報われない結末で終わるように、作られている人間でした。

うすうすわかっていたけど、そんなこと知りたくなかった。

でも、もう逃げられない。

受け入れるしかない。

自らの無能さ無価値さ愚かしさを、これまで散々人間を不幸にしてきた罪を全て背負って、早く死んでしまえばいい。

一度も成功したことがない。

一度も認められたことがない。

一度も報われたことがない。

一度も褒められたことがない。

一度も敬われたことがない。

ないものばかりが積み重なっていく。

これは悪魔の証明だ。

n=1から、n=25まで、全て証明されている。

小学校の時、家庭環境に悩まされていることを知りながら、何もできなかった。

中学校の時、自分のせいでいじめられていると知りながら、何もできなかった。

高校の時、崩壊寸前のグループを、壊すことしかできなかった。

大学の時、良かれと思って作った動画が、他人を苦しめていることに気づけなかった。

そしていま、全ての努力が無駄になり、無意味になり、無価値になり、無能の極致へと至り、あとはもう、何も残らなかった。

四半世紀生きて、何も残らなかった。

死にたい、いっそ死にたい。すべてダメになるだけなんだ、やることなすことすべてが裏目に出て、水泡に帰して、あとは罪と罰だけが残るんだ、そういう風に生きることしか、自分には残されていないんだ。

 

涙を必死にこらえながら文章を書いている。

今日も、研究室で声を掛けられて、飲み会のリスケとか聞いてくる。

その度に叫びだしそうになるのを必死にこらえて、心の激痛をできるだけ表に出さないよう努めて、のらりくらりと適当をほざいて、何とか発狂せずに帰ってくることができた。

家のドアを閉じた瞬間、思わず泣いた。

これがどういう感情なのか、自分でも分からない。

申し訳なさなのか、みじめさなのか、世界への恨みなのか。

きっとその全てがまぜこぜになった、世界で最もどす黒い感情だと思う。

正直、この文章を書ききったときに、少しだけ清々できるのではないかという、淡い期待を持っていた。そんなのは間違いだった。

そう、生まれてくることが間違いだった。生きていくことが間違いだった。

じゃあ、あとはもう決まっている。

3月の後半までは、迷惑をかけないようにいきたいと思う。

それでも、心が持たなくなったら、そのときはごめんなさい。