松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

史上最も苦いバレンタイン

中世で活躍したフランスの哲学者・デカルトと言えば、やはりこの名言である。

「我思う、故に我在り。」

彼の哲学の出発点を表す言葉であり、それは自意識から生み出されていた。

今ここでこうして思考している自分が存在する、ただそれだけが真実であると規定し、その他の全てを懐疑した。そうして彼は、自分を起点に、真理を見つめ直し、神の存在証明さえ行い、一つの哲学体系を確立するまでに至ったのだ。

 

最近は随分と色々な価値観に触れたり、昔読んだ本をよく読み返しているおかげで、常に頭の中が混沌を極めている。よって色々と文章を書き留めておきたいとは思うのだが、いかんせん頭が全く休まらないので、少し砕けた文章を書くことにする。昔はそれに適した場があったのだが、今はそこで提供されるコンテンツが、自分の書く文章よりとても頭の悪い内容に成り下がってしまったので、長文を書くとすればここしかないのだ。

 

最近は、自らの思想体系をスクラップアンドビルドしており、何度も真理に達したかと思えば、また自己否定し、新しい価値観をインストールしては、いらない部分を捨てて、しかし捨てた中にこそ真理があるのではと思い直しては拾い上げ、また別の何かを捨てるという、もはや一見意味のない思考パズルを繰り広げている。何が必要で何が不要なのか、何が正しくて何が間違っているのか、今の自分にはそれすら曖昧模糊として、何も分からない。一時期は世界なんてこんなもんかと、達観していたというのに。さすがに齢二十とそこらでは、世界の真理など遥か彼方らしい。

あまりにも色々なことを考えすぎて、この思考そのものが、あるいは存在そのものが不要なのではと考えることも多々あった。実際、そうやって全てを否定して結論付ければ、どれだけ楽だろうか。

しかし残念ながら、その愚を幾度となく犯したせいで、ゼロか百かの二極的な思考に嵌ってしまい、やがて無能なくせして完璧主義者とかいう現代の化け物を生み出してしまったのだ。テストだって70点、80点で十分だったはずだし、大学の単位評価なんてものは61点を越えればとりあえず単位は貰えるのだ。

なので、無能であるという部分は先天性なので仕方ないとしても、せめて完璧主義から脱するためにも、結論を急がないように気を付けている。部分的にはアーであり部分的にはベーであり、その両者について検討する必要がある。……必要がある、と思っている時点で既にゼロ百の構図から抜け出せていませんでしたね!

これはアドラー心理学では、過度の一般化として、良くない思考の一つとされている。一部分の特徴だけを抜き出して、母集団全てがその特徴を持つという考え方は、確かに狭量である。しかし、母集団全ての特徴を理解するのはとても苦労がいる。だから統計学では、標本から母集団を推定する。この前書いた演繹法もそうだ。

では、金子みすゞよろしく、「みんな違ってみんないい」と結論付けるか。答えはノーだ。これこそ思考の放棄であり、"みんな違う"のに、みんなに対して一律に"良い"という評価を与えている時点で、過度の一般化を犯している。

しかし一方で、一般化なくして現代科学は成立しえない。それこそ一般化を罪とすれば、統計学演繹法も、エンコード/デコードの過程で抽象と具体を行き来する論理学でさえ、成立しない。よって一般化は科学の営みにも重要な概念である。では、過度とはどの程度なのか。教えてアドラーさん。

……とまあ、以上に示したのはあくまでも一例であり、他にも複数の議論において、このように自己立証と自己論破を繰り返しているのだ。

 

さて、タイトル回収に移ろうと思う。先ほど、スクラップアンドビルドしていると言ったが、今日まさにスクラップされた話を表している。

折しも今日(昨日)は、バレンタインデーであった。自分はもちろん、推しウマ娘からデータ上でチョコを貰ってとても嬉しかった。わあ感情の劣化が激しい。

だがバレンタインなどお構いなし、目下のイベントは修論の審査会である。十個以上ある研究室から、何十名といる修士学生を一堂に会して、修論を発表する場として、3日にもまたがって行われる一大イベントである。審査会って呼ぶと堅苦しいからこれもはやフェスとかで良いんじゃね。修論フェスって思うとちょっと気が楽になる。ならないか。発表は最後から3番目くらいなのでフェス的には割と大物扱いでは?打ち上げはおけまる水産で行おう。

卒業式を除いて、同期が集まる最後のイベントだけあって、懐かしい顔をよく見かけない。なぜなら知っている顔が少ないからですね。今時そこらの顔認証システムの方が自分より顔を識別できるまである。やはり時代はAIに移り変わるので働かなくてもいいと思いました。さっきから太字で強調する場所違くない?

そんな中でも、とある同期と久しぶりに邂逅した。

自分と同じように、哲学や倫理学、心理学を少しかじっている仲間だった。

そんな彼と、再開を祝して学食で色々と話していると、なんと研究室の助教がこちらにやってくるではないか。もう既に嫌な予感しかしない。

「元気になった~?」

「ええ、まあそれなりには……」

「みんなも心配してるし、一度研究室に来て、話だけでもした方が良いんじゃない?」

「それを彼らは望んでいるんですかね……」

いや、きっと望んでいない。散々他人を傷つけた現代の化け物に、帰ってきてほしいなどという想いを抱く人間が、果たしているだろうか。

そんなことを逡巡していると、助教はとっておきのセリフを吐いてきた。

「精神やっちゃった人にこんなことを言うのはアレだけど、来ないなら来ないではっきり言った方が良いし、みんなと会うのが怖いなら怖いってはっきり言った方が良いよ」

……まさにあんたのセリフが怖いっての。

これが助教なりのバレンタインプレゼントなんだろうなぁ(遠い目)。

一文内に、自分を慮る言葉と攻撃する言葉のどちらも内包されるという矛盾極まりない文章を吐き捨てられ、もはや笑うしかなかった。

それだけ言うと離れていったので、単にストレスのはけ口を探していたんですかね。まぁ今いる人にあたるより、いない人に当たった方が研究室内の秩序は保たれるので、そういう考えができるまで至ったという点は評価できます。

もちろん、自分に対する批判もあったことでしょう。さんざっぱら研究室の秩序をかき乱しておいて、復帰しても顔も出さずに友人と談笑していれば、腹も立つでしょう。

まあそれを感情論ですぐに表に出してしまうあたり、幼稚な精神性が垣間見えます。しかもなまじっか頭は切れるので、結論が決まれば後はそこまでの論理を強引にでも構築できてしまう点が、たちが悪いのです。アカデミアの悪しき結果主義が生み出した、論理の化け物です。つまるところこれは化け物同士の邂逅でもあったのですね。

これ以上助教を批判しても何も生まないので、そろそろ話を進めます。せいぜいいつかの創作のネタにでもなっていただきましょう。ちなみにあの口ぶりから察するに、多分この件に関して何も知らないのでしょう。かわいそうな人です。誰からも教えてもらえなかったという事実を考察してみては。

 

それまで久しぶりに再開した彼とは、各々の去就とか苦労話しかしておらず、研究室に行けなくなった話をしていませんでしたが、助教の一言をきっかけに話すことになりました。

……ここから本題なのに既に前座でだいぶ力が尽きた。簡潔に終わらせようと思う

一番心に響いた言葉は、「無関心と話しかけないは違う」ということだった。なるほど、確かにこれは自分の中にはなかった思想だった。関心はあるけど、それ以上の心理的障壁によって話しかけることを躊躇っているという状況は、意外と起こるものだろう。

そして、「本当に嫌われているかどうか確かめた方が良い」と言われた。個人的には、確かめるまでもなく明確な事実だと認識しているので、行くだけ攻撃されてすごすご帰るくらいなら行かない方がマシだと思っていた。実際に、助教の当たりの強さからも、それは立証された。ただこの点は自分もすごく悩んだことではあるし、もう少し精神ゲージを回復したら、最後に自分の考察が正しかったのかどうかを確かめに行こうと思った。

ただこの精神ゲージが、さすがになかなか回復してくれない。

そのことは指導教官には話したんですけどね……助教いややめておこう。

ただ指導教官との間でも、何となく齟齬がある気がする。確かに自分は回復したと言ったが、それは"健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの意欲"が回復した"いう意味であって、"研究室に行く意欲"は回復していない。メンタルクリニックでも、前者の意欲回復を第一に据えて治療しているので、後者の問題は実は手付かずである。

 

さて、今日もまた、スクラップアンドビルド。真実に到達する日は、果たしてくるのだろうか。こうご期待。

ループもの?

「愛の反対は憎しみではなく無関心である。」

ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは、こんな名言を残した。

これを最初に聞いたとき、当時の自分は違和感を覚えた。確かに相手に対して怒りを覚えるとき、そこには相手に対する期待の裏返しが込められていることが多い。真に相手に失望した時、人は怒りを越えて無関心になる。

しかし、無関心であることは、単純に相手に対する評価を保留しているだけに過ぎない。一度相手を認識すれば、自ずと好きか嫌いかのカテゴリに分類される。人は比較する生き物であり、過去の人間と照らし合わせて、どれくらい好感度があるか、もはや無意識的に分類している。だから、無関心は愛の対義語としては成立しない。単純に、無関心の反対は興味である。この興味の細分類として、好きか嫌いかという対立項が含まれる。

では愛憎と無関心との関係性はどのように規定されるのか。

答えは、先に述べた中にある。意外にも、憎しみの向こう側である。

 

これは、自らの身を犠牲にしたフィールドリサーチからも明らかである。

例えば、中学の時、(一応)友人として振る舞っていた彼と、ちょっとしたことから諍いを起こしてしまった。

その時の自分は、彼を無視することに決めた。彼の幼稚な精神性に辟易し、もはや対話することを諦めていた。

そうしたら、次の日から彼も自分を無視し始めた。こうして、仮初めの友人関係はあっという間に瓦解した。その後は、もはや無意識的に無視するようになり、そこに憎しみなど無かった。

まさに、憎しみの先には、無関心が存在していた。

さて、こうした根拠に基づいた真理は、根拠の数だけ真実性を増す。

実家で療養を終えた後、2週間ぶりに研究室に復帰した。

そうしたら、誰も話しかけてこなかった。存在として認識はしているが、目線を送ることもない、純粋な無関心。

彼らの中で自分は、憎しみを越えた無関心を勝ち得ていた。

やるべきことを終えた後、自分の部屋に帰り、思わず笑ってしまった。

決して強がりではない、内発的な笑いだった。世界の真理を見つけた感慨の表れだった。こういう時に笑ってしまう癖何とかしたいなぁ……。

 

それと同時に、自分がどれだけ憎悪の対象になっているか、ということを体感することができた。というか、もはやその段階すら超えていた。なぜなら無関心のフェーズだからだ。

分別のある人間であれば、相手を憎むことの無意味さを理解する。それこそ、中学の時に彼を無視した自分が良い例だ。

相手を愛することも憎むことも、割と労力を要する。強烈な感情を継続させるためには、思った以上に大変なものだ。なれば、無意味な思考は放棄して、生産性を高めることを考えた方が良い。至極合理的な思考だ。

では、彼らの思考の外側に追い出された人間が取るべき行動とは何か。

特に何もしない、という行動だ。

例えば、電車でたまたま隣に座った人間に、私たちは何かを求めるだろうか。交差点ですれ違った人間に、何かを要求するだろうか。

足を踏まれたら、ムカついて、謝れよとは思うかもしれない。

ただそういった干渉されるような出来事がない限り、お互い見知らぬ他人同士であり、その存在を気にも留めないだろう。

つまり、贖罪のフェーズはもはやとっくに終了していたのだ。

 

そもそも、これまで失敗ばかりを積み重ねてきた人間が、何かを贖罪できるわけがないのだ。それができるなら、最初から失敗などしていない。

贖罪しようという考え方自体が間違っていた。自らが生み出した罪を償うことも、仮に償った後に許されることも、あり得ないのだ。

例えば、自分の好きな有名人が、とある凶悪犯に殺されてしまったとしよう。

その時、その人を応援していたあなたは、犯人に対して何を思うだろうか。

個人の感受性にもよるが、死んでも許さないと思う人も、割といるのではないだろうか。

つまりこの犯人は、法律によって罪に対する罰を受けたとしても、それは被害者を救済できていないという点で真の償いではないし、ましてや世間に許されることもないのだ。

この例は極端ではあるが、同じような構図はそれなりに見られるのではないだろうか。

それこそ、愛の反対が憎しみであるという真理を、少し応用するだけだ。

相手を一瞬で好きになる一目惚れが存在するなら、相手を一瞬で嫌いになる現象だって存在する。

生理的に無理とか、あの気持ち悪い笑みが嫌いだとか、人はそんな簡単な理由で、他人を憎悪する。

それならば、大なり小なり罪を犯した人間であれば、なおさら嫌われて当然である。

そして一度固定された印象は、そう簡単には覆らない。

従って、自分が許されることは、決してない。

 

これは自分の中では新しい発見だ。

そういえば、能動的に罪を犯したのは、随分と久しぶりだ。

なぜなら、こんなことが起こらないように、常に孤独を貫いてきたからだ。

そしてまた、共同体に居場所がなくなり、必然的に孤独になった。

孤独になることで、昔の感覚と感性を取り戻しつつある。

これまで既に明らかにした真理を再証明しつつ、新しい真理も見つけていく。

自らの哲学と、世界に対する考察が、久しぶりに捗っている。

人は一人になると、一人で自らの周囲を取り巻く環境を全て把握し理解しないといけなくなるから、生存本能に従って感性が鋭敏化するのだろう。

本当に、この感覚は数年ぶりに取り戻したが、感性は全く衰えていない。

取り戻す時間こそかかったが、今や完全に取り戻しただけではなく、これまでに蓄積した知見を統合し応用することで、新しい真理も見つけている。

むしろパワーアップした感じだ。OSの大型アップデートをした感じだ。

 

さて、こうした言説を積み重ねて、結論を導くと、もはや自分には何もできず、一人になったということである。言い方を変えると、元の木阿弥である。

高校の時に、不完全ながらいくつかの世界の仕組みを理解して、自分は一人で生きていくという覚悟を決めた。正確には浪人時代だけど。

大学に入って、共同体に強制加入させられて、集団で事に当たるというプロセスを経験した。

少し話が逸れるが、この社会は無縁社会である。教養の授業で、これについてレポートを作成したことがある。

地縁も血縁も希薄になり、個人が個人として独立に生きていく時代になった。

これに警鐘を鳴らす言説も存在する。とある社会学者は、身体性を持った連帯性の喪失は、感情の劣化を招くと言った。確かに、リアルな人間との接触は、心理学的にもストレスを軽減させる効果があるそうだ。単純接触効果、なんて簡単な要因で人間は勝手に恋に落ちるのだから、人と繋がるという行為にはある種の力がある。

しかし、こうした主張は、連帯する喜びのみに焦点を当てているが、それなら連帯しない喜びだって存在するはずだし、それについても議論するべきではないだろうか。

両者の喜びを知った身としては、この2つは独立していると思う。

連帯することでしか得られないものがあり、連帯しないことで得られることもある。

これらは独立しているため代替は不可能である。しかし、一方の喜びが失われたとしても、もう一方の喜びを極大化すれば、結果的に感情の劣化は避けられるのではないだろうか。

そして、これからは、自分が自分で自分を喜ばせる時代へと変遷していくのではないだろうか。実際に、一人で楽しめるコンテンツは山のように存在するし、ぼっちを極めると周囲の環境を観察しているだけで既に面白い。

連帯の重要性を説く人は団塊世代付近の出自が多く、また分野にもよるが、学問というものは理想像を提示するだけで、現実とのすり合わせはあまり行われない。

もはや、連帯する喜びというものは、過去の理想論でしかないのだ。

だから、この社会は無縁社会である。

 

長くなってしまったが、結論は最初から決まっている。

これまでも、そしてこれからも、一人になっても歩くんだ、ということだ。

幾度となく共同体に入っては、排除されることを繰り返してきた。

これが一昔前であれば、共同体に存在することが個の生存に重要であったため、それでもなお共同体に入っていく努力をしなければならなかったのだろう。

しかし現代はさにあらず。

ぼっちを極めし者は、寄る辺がなくとも一人で歩いていけるのだ。

そして未来は、それが主流にさえなり得る。個人で全てが完結する。

少し未来の思考を先取りしてしまったと解釈して、時代が追いつくのを気長に待つことにしよう。

 

真なる断罪に向けた最初の一歩

人と関わることが苦手でした。

自分一人の課題でさえ解決することが難しいのに、知り合いが増えれば増えるほどに、悩みなんてものは指数関数的に増大していくので、他人とは関わらない方が良いと、常々考えていました。

人間の悩みは全て人間関係だ、とアドラーは言いました。

それなら、関係を持つ人間の数に比例して悩みは増えていき、かつ人はたいてい複数の悩みを抱えており、かつ人間関係は一対一で対応しないので、もはや指数関数と近似できるのです。ちなみにこの前数学的帰納法を引き合いに出したりと、数学に絡めた話を良くしますが、数学は苦手です。考え方は割と好きですが。

 

今思えば、自分が無能であることは、小学生の時から既に体感していました。

例えば、みんなが出来るはずの逆上がりができない。水泳ができない。徒競走は最下位。勉強は当時はまだ平均的だったかもしれないけど、中学に入ったらそれこそ数学で赤点を取ったこともある。

友だちもほとんどいなかった。もちろん恋愛なんてできるはずもなく。

運動も勉強も、友愛も恋愛も、結局何もできない人間でした。

そのまま、大人になりました。

 

就活で、あなたの長所と短所は何ですか、と聞かれるときが、一番困りました。

なぜなら、何もできないからです。

どう答えれば良いのでしょうか。長所はなし、短所は全て、とでも答えれば良かったのでしょうか。

きっと自分の能力をチャート図に書き起こしたら、中央の黒い点にしかならないのでしょう。

自分一人の世話ですらやっとの人間なんて、所詮こんなものでしょう。

自己受容もままならないのに、他者理解などに思考が回るわけもなく、他者貢献など夢のまた夢。

共同体感覚など身につかず、あっという間に孤立しました。

孤立するからみんなの気持ちが分からない。分からないから無意識に傷つける。傷つけるから人が離れていく。そして孤立が深まっていく。

いよいよ、自分は一人で生きていくんだという覚悟をしました。そうせざるを得ませんでした。

 

研究室に配属されました。必然、他人との関わりが求められました。

そのころには、最低限うまくやり過ごす術を何とか身に付けていました。

人間、特に日本人は空気を読めるので、非言語コミュニケーションを通じて、こちら側の線引きを提示して、お互いに深く関与しない道を選ばせる。

仕事上のコミュニケーションは取れるけど、それ以上の関係性を生まない。

そういうスキルを磨く場だと考えていました。

そうすれば、お互い傷つかずに済みます。

 

気づいたら、その考えがいつしか消え失せていました。

どうして忘れていたのでしょうか。

居心地が良かったからなのでしょうか。

こんな他人を傷つけることしかできない無能が、ほんの一瞬だけ、夢を見ていました。

とても幸せなモラトリアムでした。

でも、世界は、現実はどこまでも残酷なので、最後にちゃんと、そのツケを払わせに来ました。

こういうところは、本当によくできています。バランスを取りに来ましたね。

だから、ちゃんとツケを払います。

罪には罰を。そして償いを。

当たり前のことです。

 

だからこそ、ちゃんと罪を把握しないといけない。

その為には対話が必要だと考えるようになりました。

勝手に罪を規定して、勝手に償ったつもりになってはいけない。

正確に罪を把握して、しっかり断罪される。

そういうプロセスが大事だと学びました。

とても心が痛む行為だけど、それが最後の恩返しだと信じて。

大丈夫です。結末はちゃんと考えています。

無能という不治の病

ただ、惰性のように生きていた。起きて、コンビニに行って、食べて、寝て。体が覚えていることを繰り返すだけ。そんな日を送っていた。

心を痛めつけるように後悔し続けた。何もかも忘れたくて、全てを顧みずにゲームをし続けた。何もやることがなくなる時が、苦痛だった。ただ暇を潰すために金を使った。

現実を見つめれば、足元から崩れ落ちていきそうになる。

こんな自分は嫌いだ。けれど全てを捨てて、どこで何をするというあてもない。

何も考えずに生きていた。何も考えたくなかった。何もかも忘れていたかった。全てが間違いだったと、そう思っていた。

自分が生まれてきたこと。進学し、研究室に入ったこと。そして何かを成し遂げようとしていたこと。

その全てが間違いだったと。

 

全てを吐き出したくて、投げ出したくて、でも自己開示できないという矛盾を抱えていた。

だから、掲示板で気持ち悪い文章を書き連ねた。

www6.nhk.or.jp

案の定承認されなかった。きっと他の人は、この程度ではうつ病になんかならないのだろう。

生まれてくることが罪で、生きることが罰だった。

はやく死んで償いたかった。

無能という不治の病から、一刻も早く逃げ出したかった。

何も生み出せない、無価値な人間でした。

何も出来ない、無能な人間でした。

何も成し遂げられない、無様な人間でした。

何も作れない、無力な人間でした。

だったらもう、いなくなってもいいでしょう。

だからいなくなることにしました。

当然の帰結です。

生まれてきてすみませんでした。

一生をかけても償えないほどの罪を背負って、きっと近いうちに消えます。

だから皆さん、もう少しだけ待っていてください。

悪魔の証明

高校数学で学ぶ項目の一つに、数学的帰納法というものがある。

数学が大の苦手なのに理系に進んでしまった身としては、数学と名が付くこの項目は、むしろ計算力ばかり問われる他の分野と比べて、幾分取り組みやすいと思っていた。

実のところ、この数学的帰納法は、演繹的である。演繹と帰納は裏表の関係であり、演繹法は一般論から個別論を導き、帰納法は個別論から一般論を導く。

演繹法帰納法について具体例を出すと、八百屋かスーパーに行って、赤いりんごがたくさん並んでいるのを見たときに、

「1個目のりんごも赤い、2個目のりんごも赤い、...n個目のりんごも赤いのであれば、恐らくすべてのりんごが赤いのだろう」と結論付けることを帰納法といい、

「りんごはすべからく赤いものであるから、目の前のりんごも赤いのだろう」と結論付けることを演繹法という。そんなことを考える前にさっさとりんごを買ってほしいものである。

これだけ見ると、やっぱり数学的帰納法帰納法の一種ではないかと思うだろう。実際自分も、そのように思っていた。

しかし、数学的帰納法の証明方法について、もし以前学んだことがある人は、思い出してほしい。

与えられた命題が正しいという結論を導く際に、まずn=1のとき正しいことを判定して、次にn=kのときn=k+1も正しいことを判定する。両者を証明して、初めて命題の立証が完了する。

この時、命題自体の正しさは証明していない。つまり、n=1のとき正しいという前提(これを一般論ともいう)、n=kのときn=k+1も成立するという前提があることで、個別の命題の正しさを証明している。つまり、内容は帰納的に見えるが、論理構造は立派な演繹法だというのだ。

ここまでくると、もはや数学というよりかは論理学の内容に近くなる。高校数学の中で、気づかないうちに論理学も学んでいるという格好だ。

論理学は取っつきにくいく難しいイメージが先行するが、一度理解してしまえば、その汎用性は絶大だ。言葉も数字も、論理学の上に成り立っているからである。

などと偉そうなことを書いているが、実際のところ、ほとんど詳しくない。大学の講義で少しだけ論理学をかじったが、講師が終始意味不明なことを述べるので、全く理解ができなかった。しかし今となっては、もしかしたら実はとんでもなくすごい人ではなかったのではないかと思ったりもする。実際、時々配られるプリントは、手抜きながらも意外と分かりやすい内容をしていた。

 

さて、前座だけで軽く千字を越えてしまった。今の自分は修論の執筆もしているためただでさえ指を酷使するというのに、先日右人差し指と中指を段ボールで切ってしまい、余計にダメージが蓄積しているのだ。おかげさまでタイプミスが多くてなかなか進まない。なら前座で千字も書くなよという話である。

 

最初に数学的帰納法の話をしたのは、タイトルとも関連するが、この方法を応用することで、(自分にとっては)悪魔のような証明が成されてしまうから、である。

ちなみに、悪魔の証明の本来の意味とは、"ない"ことを証明することである。決して自分にとって不都合な証明のことを指す言葉ではない。

ないことの証明は、無理とは言わないが極めて難しい。例えば、スーパーにりんごがないことを証明せよと言われたら、スーパーの中を血眼になって探し回れば、何とか証明できるだろう。

しかし、自分がりんごを買っていない証明をすることは、時に困難を極める。生まれてからずっと、レシートを全て保管していても、レシートの出ない八百屋で買った可能性は?などといちゃもんを付け始めれば、キリがない。

あることを証明することは、指さしてそこにあるだろうと言えばそれで済むのだが、ないことを証明するためには、全ての状況においてそれがなかったということを証明しきらなければならない。

だがしかし、絶対にないとは言い切れないが、概ねないと言い切れる証明ができる。

そしてそれは自分にとって、悪魔のように心を蝕むような、残酷な証明でもある。

今回は、そういう話をする。まだ前座だったんだ。

 

一つ一つの出来事は、そこまで大したことではありません。

後輩のためを思って、改訂すれば数年後も使い続けられるマニュアルを作成したら、来年から全く別物に代わるため、頑張って作成したマニュアルの意味がなくなった。

当研究室を数年来悩ませてきた難問の解決の糸口を見つけた矢先に、新しい試薬に取って代わられた。

柄でもないのに、珍しくささやかな忘年会を企画したら、前日に中止に追い込まれた。

事実だけを羅列すれば、単なる挫折経験に過ぎません。この程度、誰でも経験済みです。

しかし、それだけでは済まされない理由が、2つありました。

1つは、これら3つの挫折が同時に襲い掛かってきたこと。

そしてもう1つは、言い訳できないほど努力した結果、全て報われなかったことにあります。

 

自分は、これまで本気で努力したことがありませんでした。

そうしなくても、生きてこれたからです。

それなりに頑張って、それなりの成果を出せていました。

それと同時に、努力の無意味さを様々な形で知っていました。

自分が難病にかかったこと。それが運よく完治したこと。

自分の想像を数段飛び越えてくる作品に出合ったこと。

人間をパラメータ化すると、初期値と成長値があり、これは生まれた瞬間から既に決定されていること。

自分の目から見える世界は、全て才能と運だけで構成されていました。

そういった、人の手が及ばない概念を持ち出すと、やれ逃げだの努力してないだのと、色々言う人がいます。

確かに、努力も大事な要因です。しかし、この努力すらも、才能の範疇です。

正しい方向に努力する才能。芽が開くまでじっと待ち続ける才能。そして何より、成長値こそ才能で決められているものです。

才能と聞くと、多くの人は最初から上手いことを思い浮かべると思います。それももちろん才能です。自分はこれを、初期値が高いタイプと形容しています。

しかし才能にはもう一種類あります。成長値が高いタイプです。

最初は人並みでも、ぐんぐん成長していって、あっという間にトップに躍り出る。これも立派な才能でしょう。

そういった才能は、後天的には得られません。恐らく遺伝子レベルで決定づけられています。

運は、これはもう不確定要素の極みなので、論ずることも難しいのですが、確かに存在する概念であると考えています。明らかに悪運が強いやつとか、身近にもいます。

翻って、人が運を御するのは不可能です。

才能と運を前に、人の子が努力しようとも、何の意味も持たないのです。

少なくとも自分には、成長値が低く配分されていたために、意味を持ちませんでした。

ただ、運だけは強い方でした。そういう家系に生まれました。

運も実力のうちと言いますが、実力を因数分解した時に、努力と才能と運で構成されるのだとしたら、ほんのわずかの努力と、あとは運だけで全て賄う形でもって、自分の実力は構成されていました。

ただ先述のように、運は不確定のため、運が悪い時は、平気で失敗します。

しかし自分からすれば、それは運が悪かっただけのこととして、片付けることができました。

そして強運のおかげか、真に失敗しそうな出来事ほど、運の力で切り抜けてきました。

高校受験も大学受験も就職活動だって、最後は運の力で勝ち取った結果だと、本気で思っています。大学受験なんかはその典型例で、自分が受けた年の、その方式だけが、例年と比べて異様に低い倍率だったからです。こんなの運以外の何物でも説明がつきません。有名私立大学で不祥事も特にありませんでしたから。

 

そんな自分が、珍しく本気で努力したのが、先の件でした。

そういえば名刺制作もそうでしたね。ちなみにまだ作る気は失せていませんよ。

名刺制作は失敗するはずがありません。いずれ完成すれば、それだけで成功です。

しかしマニュアル制作は、失敗すれば自分以外にも多大な迷惑がかかることが予想されました。

マニュアルを製作せずに、自分の担当回だけをその場で乗り切る選択肢や、他の仲間にある程度投げる選択肢も、もちろんありました。しかしそれでは根本的な解決にならず、この先何年も同じ問題に行きあたる可能性が考えられました。

それでもなお、マニュアルを作る必要はありませんでした。まだ見ぬ後輩の苦労など、知る由もないからです。

しかし、作ることにしました。最後は、自分の生き方のポリシーがものを言ったと思います。

 

自分の座右の銘は、一日一笑と、昔から決まっています。

小学生か中学生のときに、母親から教わった言葉です。

「1日に1個、どんなに小さな笑いでもいいから取ってこい」

別に我が家はエンターテイナーではありませんが、両親は共に個性的で、いつも笑わせてくるような愉快な人たちでした。

そんな家庭で育ったため、自分の至上命題は一日一笑と決まりました。

重く考えたことも、煩わしく考えたこともありません。むしろ誇りに思っています。

実際に、一日に一笑も取れなかった日もあるでしょう。それでも、あくまでも心掛けの問題であり、また明日チャレンジすればいいと、気楽に考えていました。

この笑いは、必ずしも面白おかしいことを言ってみせることだけではないと、考えています。誰かの苦労を減らすことなども、巡り巡って笑顔に繋がるはずです。

そういう想いから、マニュアル制作に着手しました。自分一人がここで苦しむだけで、この先で多くの人が楽になるのであれば、幸福の総量は増大するはずです。

引っ込み思案で面倒くさがりな自分が、本当に珍しく、複数のOB・OGにアポを取って当時の話をヒアリングして、好意で提供してくれた資料を基に詳細なマニュアルを作っていきました。断片的な資料と、現状に合わせた適応とで、マニュアル作成は割と大変でした。人生で初めてモンスターを飲んだのもこの時です。まぁ半分飲んで捨てましたけど。

自分の中では、苦労に苦労を重ねて、やっとマニュアルが完成しました。数年越しのブランクをほとんど埋めて、特に大きな問題も起こらずに終わりました。

 

やっと成功したんだ。運にも才能にも左右されない、確固たる自分の実力で、自分の周囲10名程度と、さらにこれに関わった何十名の人たちを、幸せにすることができた。

他の人なら、もっとうまくやれたかもしれない。それでも、何の才能も持たない自分が、努力だけで誰かを笑顔にすることができた、初めての瞬間でした。

ありがたいことに、慰労会のようなものまで開いてくれて、ようやく自分の実力に自信が持てました。まぁ慰労会は多分ダシに使われたのだと思いますけど。それでもありがたいことです。

そこで今度は、研究室を数年来悩ませる問題に着手することにしました。

最初はちょっとした閃きだったのですが、それが思いのほかうまくいきそうになったため、今度はある程度仲間に作業を委託する形で、解決に向けて動き出しました。

後半で、最初に取れたデータの再現性が取れなくなり、彼らも肉体的・精神的な疲弊を見せる中、自分も再度当事者意識を持って解決に乗り出し、最終的に難問をほとんどクリアすることができました。課題も残りましたが、以前と比べると大きな進歩がありました。

 

これまで成功しても失敗しても、全て運に任せていたせいで、個人の実力とは考えていませんでしたし、自分の努力に一切の自信が持てませんでした。しかし、ようやく自力で問題を解決する力を身に付けることができ、自信に繋がりました。

こうした実績があれば、少しくらいは自分の話も聞いてくれるだろうということで、仲間内でささやかな忘年会を開くことを計画しました。

コロナ前は毎年、研究室を挙げて忘年会を行っていたのですが、それも昔の文化になりかけていました。

こうした文化の復活や、仲間内でのコミュニケーションの促進や、未だに色濃く残る閉塞感を少しでも和らげるために、これまた引っ込み思案の自分が、一人一人に声を掛けて回り、何とか日程も合わせて、今年の最後も楽しく終われると、考えていたのです。

 

しかし、自分はここで、この世界の残酷さに直面します。

自分の努力が、全て無駄であったという事実です。

丹精込めて作ったマニュアルは、ただの紙屑と化し。

解決への糸口がつかめた難問は、別の要因で簡単に解決し。

自分の発案であろう分散型忘年会は、自分の所だけが、中止に追い込まれた。

自分は何か悪いことをしたのでしょうか。

そうだとしたら謝ります。何でもします。

だからこれ以上、自分から何も奪わないでください。

自分には、努力することすら許されないようです。

そうすることを、世界が許してくれないのです。

自分の努力の才能がないというのなら、それでも良いです。

もう二度と、出しゃばったり努力したり頑張ったり何かを成し遂げようなどという、大それたことは考えることも動くともしません。

だからせめて、何が悪かったのか、教えてほしいです。

いや結局、悪いのは、全て運だったのでしょう。

自分の実力の大半を占める運が、とことんマイナスに働き、自分のわずかな努力を、消し飛ばしていったのでしょう。

結局、何もできない、何も作れない、何も生まない、何の意味もない、人間だったのです。

自らの無能さ無価値さ愚かしさが、身体中を駆け巡って、最後は自分を殺しに来る。

いっそのこと、死んだ方がマシなんじゃないか。

そんなこと最初から分かっていた。それでも認めたくなくて、言い訳を見つけて、あの時はたまたま運が悪くて、時間が足りなくて、無理だったんだ、だから自分の実力不足なんかではないと、言い聞かせて、ここまで生きてきました。

でも今回ばかりは、言い訳できないくらい、頑張ってしまいました。

そう、つまり、松前藩主という人間は、いくら努力しても、どれだけ頑張っても、最後には報われない結末で終わるように、作られている人間でした。

うすうすわかっていたけど、そんなこと知りたくなかった。

でも、もう逃げられない。

受け入れるしかない。

自らの無能さ無価値さ愚かしさを、これまで散々人間を不幸にしてきた罪を全て背負って、早く死んでしまえばいい。

一度も成功したことがない。

一度も認められたことがない。

一度も報われたことがない。

一度も褒められたことがない。

一度も敬われたことがない。

ないものばかりが積み重なっていく。

これは悪魔の証明だ。

n=1から、n=25まで、全て証明されている。

小学校の時、家庭環境に悩まされていることを知りながら、何もできなかった。

中学校の時、自分のせいでいじめられていると知りながら、何もできなかった。

高校の時、崩壊寸前のグループを、壊すことしかできなかった。

大学の時、良かれと思って作った動画が、他人を苦しめていることに気づけなかった。

そしていま、全ての努力が無駄になり、無意味になり、無価値になり、無能の極致へと至り、あとはもう、何も残らなかった。

四半世紀生きて、何も残らなかった。

死にたい、いっそ死にたい。すべてダメになるだけなんだ、やることなすことすべてが裏目に出て、水泡に帰して、あとは罪と罰だけが残るんだ、そういう風に生きることしか、自分には残されていないんだ。

 

涙を必死にこらえながら文章を書いている。

今日も、研究室で声を掛けられて、飲み会のリスケとか聞いてくる。

その度に叫びだしそうになるのを必死にこらえて、心の激痛をできるだけ表に出さないよう努めて、のらりくらりと適当をほざいて、何とか発狂せずに帰ってくることができた。

家のドアを閉じた瞬間、思わず泣いた。

これがどういう感情なのか、自分でも分からない。

申し訳なさなのか、みじめさなのか、世界への恨みなのか。

きっとその全てがまぜこぜになった、世界で最もどす黒い感情だと思う。

正直、この文章を書ききったときに、少しだけ清々できるのではないかという、淡い期待を持っていた。そんなのは間違いだった。

そう、生まれてくることが間違いだった。生きていくことが間違いだった。

じゃあ、あとはもう決まっている。

3月の後半までは、迷惑をかけないようにいきたいと思う。

それでも、心が持たなくなったら、そのときはごめんなさい。

 

自由な労働を義務付けられた社会

さて、ようやく前座の話が終わり、本題へと入っていきます。落語だったら前座だけで客がいなくなるレベル。本題は饅頭怖いにでもしておくか。

 

突然ですが、QLCという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ちなみに頭FPSの僕は、一瞬LCQと見間違えてしまいました。世界3位感動した!

QLCというのは、「クォーター・ライフ・クライシス」の略で、20代後半から30代前半にかけて訪れる、人生観に対する危機感のようなものです。れっきとした心理学のアカデミックワードであり、決して僕の造語などではありません。

まぁ平たく言えば「自分の人生はこれで良いのか」などの焦燥感を指します。

たまたま東洋経済の記事を読みあさっている時に、この言葉を知りました。

toyokeizai.net

 

少し話は変わり、私事になりますが、先日就職先を決定しました。正確には、選択肢が一つしかない、もっと言えば、内定が一つしかなかったのですが。

まあこれの2つ前くらいの記事で書いたように、社会不適合者の急先鋒にいる自分が、内定をたった一つでも獲得できただけでも、十分な成果だと、考えています。

緩やかに成長する中堅メーカーの、技術系と決まりました。

本社が少し都会から外れた工業地帯になりますが、ちゃんと住む場所を考えれば、滅多な不自由は起こらない生活が送れそうです。

内定先には悪いですが、以上から簡潔にまとめると、「まあまあな人生」を送ることになりそうです。

特別煌びやかな生活ではないが、劣悪な環境でもない。まさに中流階級です。

仕事は割と興味が持てる内容で、人も割と良さそうです。給料は分かりませんが、今のところ自分には結婚はおろか交際すら全く見えてこないため、お金に困ることはなさそうです。あまりお金のかかる趣味もありません。せいぜい、毎年スキー旅行に行きたいくらいです。そんなの初期投資さえ済めば、毎年5万円もかかりません。

 

ここで、話が戻ります。そう、QLCの話です。

本当に自分は、この人生で良いのかと、考えてしまうのです。

親は一流企業の、しかもいい役職まで上り詰めていました。

おかげで、目に見えてぜいたくな暮らしをしていたわけではありませんが、何一つ不自由のない生活を送ってきました。

実家がある街も非常に良く、今から思えば愛着の湧く街でした。

はっきり言って、恵まれていました。

そんな簡単な事実を、もちろん分かってはいたのですが、就活を通じて、より実感の伴う形で再認識させられました。

今は一人暮らしをしていますが、それでも南関東県内です。

しかし、就職先は、そこから遠く離れた街です。東京に出ようと思えば、新幹線を使わないと行けないレベルです。

いくら住む場所をちゃんと考えたって、多かれ少なかれ見劣りはしてしまいます。

利便性だってそうです。景色も随分と変わるでしょう。

別に全面ガラス張りの高層ビルに勤務したいとは思いませんが、同じ仕事なら建物は綺麗な方が、少しはやる気が出るでしょう。

また会社も中堅であり大手ではないため、福利厚生も恐らく中堅で、社員もそこまで優秀ではないでしょう。失礼な話かもしれませんが。

 

要は、都内に本社を構えるような、大手企業に入った方が、より良い人生を送れるのではないか、という仮説が、どうしても頭の中を離れないのです。

都心近くに住み、毎日綺麗な高層ビルに通い、設備の整った環境と、優秀な仲間と一緒に仕事をする。お昼は時々会社の外にあるお店などに行ったりして、時々社内かビル内にあるカフェでサボ……息抜きして、また仕事に戻る。大手の仕事は規模も大きいため、ゆくゆくは社会を、世界すら変えるような仕事に、携わる機会だってあるかもしれない。給料だって良いので、後顧の憂いなく、それなりに贅沢して質の高い暮らしができる。

まさに仕事もプライベートも充実した、文句なしの人生。それを叶えるには、ほとんど大手の企業に入るしか道はありません。

なまじ大手企業の説明会やら選考を受けていた身としては、あと少し手を伸ばしたらそれが夢ではなく現実になっていたのかもしれません。

もちろん、大手に入れば必ずいい人生を送れるとは限らないことは分かっています。でもその確率は、間違いなく他の選択肢より高いでしょう。まぁ起業すれば話は別ですけど、自分にはそんな才覚はありません。

 

そんな一歩先にある夢物語を見ると、相対的に現実はやはり、少しほの暗い様相でした。

これに悩んでいたのは4月前半あたりであったため、まだ就職活動を続ければ、そのチャンスも十分あると、考えられました。

そう、自分の人生はこれで良いのか……まさに、QLCになっていました。

そこで僕は、ずっと幸せについて、考えていました。

自分が幸せになるためには、何をすれば良いのか。

どういうときに、幸せを感じるのか。

それを持続させるには、どうすればいいのか。

そんなことを、ずっと考えていました。

 

幸せな人生を送るためには、幸せな人生を送らなければなりません。

これではトートロジーですので、人生を因数分解します。

すると、だいたいは仕事とプライベート、この2つに分けることができます。

プライベートの充実方法は、いくらか思いつきます。自分には見たいアニメとやりたいゲームと読みたい本が数え切れないほどあり、さらに一人旅も好きなので、そういったことにずっと取り組み続けていれば、価値観が大幅に変化しない限り、プライベートは幸せであると言えます。先述のように、これらはそこまでお金がかかるわけではありません。よってそこまで可処分所得が多くなくても、実現可能です。

ではその所得を稼ぐ仕事はどうでしょうか。仕事で幸せになることは可能なのでしょうか?

人間は随分と欲深い生き物で、仕事をするだけでお金がもらえる、ただそれだけで、本来は幸せなはずなのに、現代ではそれが当たり前となっているため、お金をもらうだけでは、幸せになれないのです。

では仕事で幸せになるにはどうすればいいのか。

これは自分が思うに、マズローの欲求階層説を引っ張ってくると分かりやすいと思うのです。

会社に所属した時点で、第3段階である社会的欲求は満たされたと見なします。

次が承認欲求です。簡単に言えば、会社や上司、同僚などに認められるかどうか。これは会社との相性ですが、最低限の仕事をこなせば、そこそこ満たされるでしょう。

最後が、自己実現欲求です。Wikipediaによれば、「自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求」です。

つまり、自分が余すことなく能力を発揮し、その結果仕事がうまくいき、いい気分になりたいという欲求です。これを満たしたとき、きっと仕事でも幸せを感じることができるでしょう。

逆を言えば、自分の能力に見合い、かつ自分のやりたい仕事ができそうな会社を、見つけなければならないのです。

これはとても大変なことです。日本だけでも会社は450万社あるそうです。

その中から、上記の条件に合致する仕事を見つけなければならないのです。

はっきり言って無理ゲーでしょう。

最近の若者が、起業したがる理由が、何となく分かります。探すより作る方が、きっと楽です。無論、起業には起業なりの苦労があるのでしょうけど。

父親も、仕事は「辛くないけどつまらない」と言って、定年を前に辞めてしまいました。きっと、会社では自己実現が達成されなかったのでしょう。

でも父は、随分と人生を楽しそうに過ごしています。その理由は、きっとプライベートがとても充実しているからでしょう。父は大の音楽好きであり、特にギターは何本も持ち、一時期はバンドを複数掛け持ち、おびただしいほどのCDを所持していました。

そんな父を見て、僕は確信しました。

仕事が楽しい、なんてのはきっと幻想なのだろうけど、プライベートが充実していれば、それだけで人生は十分幸せなのだろうと。

仕事なんてものは、正直辛くなければとりあえずOKなのです。

ここでタイトルを回収します。確かに現代日本は、職業選択の自由があります。

しかし生きていくためにはお金が必要で、お金を得るためには、働かなければなりません。もちろん、今はそれ以外にも方法はありますが、最も確実な方法は、間違いなく労働でしょう。

そういう意味で、私たちは「自由な労働を義務付けられている」と言えるのです。

確かに、楽しい仕事もあるかもしれません。しかしそれは、とても優秀なほんの一握りの人間にしか味わうことのできないもので、自分のような凡愚には手が届きようもないのです。

職業選択は、権利であって自由ではありません。職業選択の幻想と、言ってもいいかもしれません。どうせ究極的には、やることは一緒なのですから。そう、上から与えられたタスクをこなすだけなのです。私たちが選んでいるのは、その「上」でしかありません。いくら裁量権が与えられようが、会社の資産を自由に使えるわけではありません。

そういう意味では、下手に職業選択の自由という名の幻想など、与えられなくてもいいのではないかと、思ったりもします。

江戸時代は士農工商は分別され、階級として成立していました。例えかっこいい武士になりたくても、餅屋の息子は餅屋にしかなれず、豆腐屋の息子は豆腐屋にしかなれないのかもしれません。

しかし僕は、豆腐屋の息子でも構わないと思います。確かに毎日朝早く起きて、冬場は冷たい水の中にずっと手を突っ込み、あかぎれを起こしたりするのかもしれません。でも、近所の人が笑顔で自分が作った豆腐を買って行って、くだらない雑談して、いつしか村の中で結婚して、たまーに歌舞伎でも見に行って、一生豆腐を作り続けるーー。別にそれでも十分幸せでしょう。

むしろ、自分には本当は職業選択の自由があって、豆腐屋以外の可能性もあったんだと、知ってしまうことの方が、不幸であるとさえ思います。

また自分の良くない性格が出ていますね、下を見て安心する。

でも、地に足付いているかどうかを確認するためにも下を見ることは大事だと思うのです。ほら、時々ガムとか落ちてたりするし。

そもそも、人間は比較論で生きています。相対的に、比較し続けて、生きているのです。

右と左を比較し、上と下を比較し、やがて夢と現実を比較する。

だが、上を知らなければ自分が下であることも知らずに、夢を見なければ、現実の残酷さを知ることもないのです。

豆腐屋の息子は豆腐屋にしかなれないからこそ、武士の華やかな生活を知らず、自分の身の回りに起こるささやかな幸せに満足して、一生を終えることができるのです。

人間は幸福を貪る醜い生き物なのです。幸福の上限値は常に更新され続け、留まるところを知らない。故に人間は増長するのです。

それが人間を進化させる原動力であることは認めますが、際限なき幸福の追求の果ては、きっと崩壊だと思います。

 

もしかしたら大企業に行って、高給取りになれば、際限なき幸福の追求ができるのかもしれません。しかしその時、既にささやかな幸せでは満足できない体になってしまっているのです。一度肥えた舌は元に戻りません。

僕は幸福度の最大値を上げ続けるのが怖いと思うので、あまり贅沢はしないと思います。

仕事も、世界を変える中心にいるような仕事に、憧れることはありますが、でもあまりそうなりたいとは思えません。自分にそこまでの器量も責任も取れません。

そうして、煌びやかではないけど、ささやかな幸せを噛みしめて、生きていく。

そんな人生でも、きっと価値があると、結論付けました。

そうして僕は、自由に仕事を選び、義務で労働して、その合間にプライベートを楽しんで、それなりの人生を送ることにしました。

皆さんはどうでしょうか。きっと僕よりもっと高みに行って、僕を見下ろすのかもしれません。

でもその時は、きっと僕は皆さんレベルでは幸せだと思えないことでも、幸せだと感じて、生きていることだと思います。

 

 

 

ゴールデンウィーク連想ゲーム

ゴールデンウィークも最終日。明日からまた残酷な現実と向き合わなければならないのかと思うと、いつにも増して自分の肉体が感じる重力、略して体感重力が大きくなる気がします。心は物質ではないため重さは定義されませんし、重い性格の人の体重が重いという統計学的なデータも恐らく存在しませんが、しかし僕は、心が重いと感じたとき、同時に体も重く感じるようにできていると思うのです。

これを、体感重力と、勝手に呼んでいます。

ゴールデンウィークは、世界の不条理から一時目を逸らし、純粋に自分の好きなことのために時間を割いていたため、心が軽く感じ、体も軽く感じることができました。しかし夢はいつか醒めて、現実へと強制的に引き戻されます。すると、相対的にはより心が重くなり、体も重くなるものです。故に僕は、夢を見すぎることは、かえって現実とのギャップをより大きく認識することに繋がるため、結果的に良くないことであると考えています。常に現実の辛さを認識し続けていた方が、むしろ辛くないのかもしれません。

いやー、僕の良くない考え方が出ていますね、高みを見てそこを目指すのではなく、下を見て安心を求める。

でも考えてみてください。高みに上り続けて転落するより、下層にいて転落する方が、落下ダメージは小さいでしょう。よって僕は高層マンションよりアパートに住みたい。転落する前提なんだ……。

 

ゴールデンウィークだけでここまで文字を稼いでしまいました。我ながらクソみたいな文章力です。何かのタイミングさえ違っていれば、きっと僕はネットライターになっていたと思います。だって内容のない文章を書くの得意だもん。いや決してあまねくネット記事の全てに内容がないとは言いませんが、時々、これなら僕でも書けそうだと思えるような文章が、そこそこ名の知れたニュースサイトから出ていたりするものです。

 

今年のゴールデンウィークは……まだこの話続けるんだ……学生最後ということで、ちゃんと意義深いものにしようと考えていました。何でもいいですが、〇〇最後という言葉に日本人は踊らされすぎな気がします。「高2の夏は一度きり!」とかいうフレーズを見ると、何かそれが尊いものであるかのように、錯覚してしている人が多いのではないでしょうか。しかしよくよく考えれば、究極的には毎日が一度きりであるし、人生も一度きりです。例えば2022年5月5日(本記事を執筆した日)は全人類にとって一度きりです。よって先のフレーズに当てはめるのであれば、「今年のゴールデンウィークは一度きり!」というわけです。このフレーズだけ見ると、あまり特別感は感じませんが、しかし述べていることは、高2の夏以下略と同じことであるのです。

そして逆に、今年のゴールデンウィークやら夏やらが過ぎ去ろうとも、来年再来年と、ゴールデンウィークと夏はやってくるはずです。北極熊のプーさんが、変なスイッチを押さなければ、の話ですが……。

どんどん話が脱線していきますね。この前の研究室の進捗報告でも脱線しかけて危うく路線を修正したこともあるどうも松前藩主です。なおこの路線はあと一年と持たずに廃線になることが確定しているため、今更発展させようとか思いませんけどね!

で、今年のゴールデンウィークは……もう書き手側も飽きてきたのだが……「計画的に遊ぶ」をテーマとして、毎日遊んでいました。いや何も意義深くねぇ……。

いつもは割となあなあで終わってしまうのですが、今年はしっかり遊ぼうということで、この日はソシャゲ、この日はラノベ、この日はノベルゲーなど、毎日目標を立てて遊んでいました。今日は最終日なので、その総まとめとしてブログを書く日と決めていました。

でも計画的に遊んだおかげで、今になって振り返ると、満足度の高いゴールデンウィークを過ごせた気がします。月曜日が平日なのも、むしろ良いスパイスだったと思います。ただ遊ぶだけでなく、周囲とコミュニケーションを取ることで、ただ遊ぶだけでは得られないものを、得ることができました。まあ世間では「GWの谷間」とか言われ、Twitterのトレンドにも乗るくらい、忌み嫌われていましたけど。そしてそのトレンドを目にした瞬間、これはもう確実に谷間という言葉にかこつけて、売れない人たちが2次元3次元問わず、エロ画像を投下していることを予測しました。ただ僕も難儀な性格をしているもので、どんなにくだらない仮説だったとしても、一度自分の中で立てた仮説は、検証しないと気が済まないという、無駄な好奇心を持っており、「これは仮説の検証だ……」などと言い訳めいた言葉を独り言ちながらトレンドを開くと、案の定売れない人たちが2次元3次元問わず、エロ画像を投下しており、僕はその様子を見て、思わず笑ってしまいました。しかし仮説の検証という高尚な作業を行っているとは露ほども知らないであろう周囲のラボメンバーから見たら、それはもうニヤニヤしながら2次元3次元問わずエロ画像を漁っているという、通報一歩手前の行為をしているやべー奴にしか見えていなかったに違いありません。

 

なんで本題の前座であるゴールデンウィークだけで、記事一本分の文章を書いているのでしょう僕は。いや本当はこの後に、自分の心の整理のために、もっと大事なことを書く予定があったのです。タイトルも決めていて、「自由な労働を義務付けられた社会」とかいうすかしたタイトルで、かっこよく決めようと思っていたのです。

気づいたら気持ち悪いエピソードトークしかしていない!

……もうこれで、とりあえず一本投稿しますわ。

気が向いたら本題の方を、お風呂上りにでも書くとします。

ただ現在少し目が痛くて……それが今後悪化するようでしたら、書かないかもしれません。

その場合は、GWの谷間というトレンドから出てきたエロ画像を見てニヤニヤしていたやべー奴という印象だけが付いて、しばらくブログは動かなくなるでしょう。

……そんなの僕は嫌だ!それこそ欅坂46並みに叫ぶまである。今は少し名前違うんだっけ。まあ何でもいいや。

からの~、逃げちゃだめだ!とシンジくん並みに叫ぶまである、いや彼はそう叫んではいない気もするけど。まあ何でもいいや。

 

前座だけで2,500字以上書いたこの最高に中身のない記事、これでも喰らいな。