松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

ブログタイトルを変えたぞ

期末試験が終わりました。長い闘いでした。

思えば僕たちは、小学校の頃からずっとテストを受け続けてきました。

テストとは日本語で試練の意味です。ずっと試練を受け続けてきた人生でしたが、大学3年後期、本日をもって概ねテストなるものは過去の遺物となりました。ちなみに僕は社会の異物です。聞いてないか。

まぁ就活が始まれば適性検査だのTOEICだのでまたよう分からん試験を受けさせられるわけですが。

これだけテストを重ねてもいい人材を育成できないあたり、日本の教育界は無能ですね。よって僕が無能なのは現代の教育の腐敗のせいであって、僕自身の性格が腐敗しているせいではないのです。

 

さて本題に入りますと、ブログのタイトルを変えました。

さっき買い物に出かけながら、ふと思いつきました。タイトルは、「松前藩主の黒色Diary」です。

Diaryは日記なのでいいとして、問題は黒色ですよね。

この黒色にはいくつかの意味があるのですが……

とか書くと、思わず身構えてしまいますが、そんな大層な意味はありません。

まず第一に、黒色とは自らの過去、歴史の色です。自分は毎日1つ以上の黒歴史を積み上げてここまで来ていますからね。そんな日々を書き記す日記帳も、さぞ黒いことでしょう。よって黒色Diaryなわけです。読み方は音読み訓読みどちらでも結構です。僕は「こくしょくだいありー」と読んでいます。

次に、黒色は全ての色を重ね合わせた色です。小学校の時に、たくさんの絵の具を混ぜ合わせたらどんな色になるだろう、まさか虹色になるのかしら!?という淡い期待を胸に、絵の具をパレットの上で調合したらおぞましい黒色が出来上がった、という経験は特に男子の皆さんなら持っていることでしょう。今思えば、その時に僕らは初めて、この世界が醜いことを認識するのかもしれませんね。

このブログにも、色々な色があります。最初は名刺と呼称するゲームの開発状況を書いて、ギャルゲーについて思いのたけを語ったりもしました。そしてこれからはもっと雑多な内容の記事が増えていきます。そうしていろんな色の記事があわさってこのブログが出来上がるのですから、さしずめこのブログの色は黒でしょう。

後は何かないかな……あ、人間の黒い腹の中を探るようなブログだから黒色とかもあるかもしれません。

 

ブログのタイトル変更に合わせて、デザインも変えようかと思いましたが、下手に背景とかを黒色にすると見にくいことこの上ないので、従来通りにします。

 

それで、どうしてこのブログをタイトル変更してまで継続するかというと……

これから多分、いろんなことを考えることになるだろうからです。

前回、今年は激動の一年と書きましたが、それは社会に限らず、僕個人としてもそうなのです。

4年生になると卒業研究が始まります。

大げさな言い方をすると、これまでひたすら過去をなぞってきただけの人生が一変します。授業というのは過去の出来事をひたすら覚えるためのものです、だから試験があり、答えがあるわけです。

しかし研究には答えがありません。暗中を模索し、自分で正解を設定しなければなりません。

小学校からずっと、答えを出す訓練ばかり行ってきたのに、今度はいきなり答えのない問題に取り組むことになります。それがどれだけ難しいことなのか、研究したことのない自分には一切分かりません。

これだけでも十分に環境が変化したと言えるのに、同学年の人たちと机を並べて卒業研究に挑むことになります。顔の広い人ならいざ知らず、教室にいても誰とも話さない僕にとっては、卒業研究の始まりは新しい人間関係の始まりです。さすがに卒業研究の際に口もきかないわけにはいかないでしょう。

そして、そろそろ人生最大の決断をしなければなりません。

そう、就活です。

小学校は6年、中高3年、大学は修士まで入れて6年。でも会社に入ったら転職しない限り40年。実に人生の半分を会社で過ごすのです。その会社を決めることは、まさしく人生最大の決断と言えるでしょう。

就活自体はまだ先の話ですが、それに関連して、修士どこに行くかが個人的に一番の課題です。色々と話を聞いて、やっぱり内部進学に心が傾きつつありますが、いいところがあれば外部に行ってもいい気がしています。もう既に大学に4年いるわけですから、そろそろ違う場所に行ってみるのもいいのかもしれません。特に前回書いたように、危機感を失うと一気にやる気がなくなりますから、ここで危機感を補充するために、敢えて外に出るのも悪くないでしょう。ただ外部進学すると、今度は就活に気を取られて研究があまり進まない事態に陥る可能性が高いんですよね。研究職になるかどうかは分かりませんが、研究はしっかり取り組みたいと思っているので、あまり研究をないがしろにしたくありません。そうなるとやっぱり内部進学……という風に、思考が堂々巡りしています。

そういう時に思考を整理するために、このブログを使うのです。

心理学的にも、自己開示を通じて自分を客観視することができると言われています。

自己開示する場はブログの他にもあるのですが、やや内輪感が否めず、適当な文章ばかり書いています。

その点、このブログは一応一般公開なので、全世界の人間がこれを見ることができるという思いの中で文章を書くことになります。そうすると安易な考えでは文章を書けなくなるので、一旦立ち止まって考える時間が生まれます。こうしてしっかり考える機会を作ることで、自らの選択をしっかり検討することができます。

このブログは一旦立ち止まり、また歩き出すための場所なのです。高速道路のパーキングエリア的な……ちょっと違うか。まぁいいや。

もう2千字超かいて疲れましたので、今回はここまで。

一人になっても歩くんだ

2020年が始まりました。この1年は社会にとって激動の一年となりそうですが、僕は以前と変わらずにブログを書いていきます。

 

これタイトルどうしようかな……名刺開発をしていないのに名刺開発日記と書くのはどうかと思うので変えたいとは思うのですが現状何も思い浮かばないので、しばらくこの名前を使い続けようと思います。

 

現在こちらは期末試験の真っ最中なのですが、今期は見事に爆死しそうな予感がしています。

原因は何となく分かります。危機感の喪失です。

そして、その危機感の喪失の原因は、自分の選択に対して必要な要素がほとんど揃ったことにあると思います。

例えるなら、センター試験で9割取れたから基本どこでも入れると思って二次対策に手を抜く受験生みたいな感じです。こんな考えしてるから浪人するんですね。

ただ一昨日にようやく危機感が生まれてきました。僕は向上心がないので、いい点を取りたいという考えではなく、悪い点を取りたくないという考えで勉強します。

だから悪くない点数が保証された場合、僕は勉強しなくなります。

実際まともに勉強せず3科目ほど受けて2科目ヤバいことになりました。

そこでようやく危機感が生まれ、勉強しなければと思いました。

 

加えてこの危機感をいい意味で更に助長してくれたのが、友人の存在です。

一昨日に友人が僕の部屋に来て一緒に勉強会をしたのですが、そこで気づかされたのは、一人の視野では限界があるということです。

同じ授業の資料を見て、僕は何も思わずにスルーした点を、彼は問題として取り上げ、しかもそれがなかなか難しい。スルーするほど簡単なはずなのに、いざ真面目に考えると意外と分からないものです。

自分一人では気付かず、彼がいたからこそ見えた景色が、確実にありました。

今になって考えれば、世界というとてつもなく大きいものをたった一人の視点だけで見たところで、ほんの一部しか明らかになりません。

だからどこの国にもトップのすぐ下には何とか大臣がいて、その大臣の下にはたくさんの人がいて、そうしてようやく一国の現状を把握するわけです。

会社も同様に、社長の下には幹部陣がいて、その下にはいくつもの部があって、その下に課があって……という、視点の層状構造のようなものを作って、会社を回していくわけです。

そうしてたくさんの視点を持った国や社会ですら滅びゆくのに、たった一人の視点だけで世間を渡っていくことなど不可能に近いのでしょう。

 

それでも僕は、これまでずっと、人間は一人でも生きていけると思っていました。

突然話は変わりますけど、智代アフターのエンディング曲「Life is like a melody」がすごく好きなんですよね。原曲もいいですが、麻枝准さんが曲を作ってひょんさんが歌うユニット「Satsubatsu Kids」verが壮大すぎて、泣けるくらい好きです。

http://key.soundslabel.com/satsubatsu_kids/

この曲の1サビの歌詞「一人で僕らは歩けるか 誰もいなくなってそれでも」と

再サビの歌詞「一人になっても歩くんだ 誰もいなくなってそれでも」

を聞くたびに、僕は一人でも生きていくんだという決意を固めていました。

同時に、必要以上に集団に帰属し、依存する人は弱いと思っていました。二人の足を縛って二人三脚で歩くより、一人で歩いたほうが早いのは自明でしょう。

もちろん世界に一人ぼっちになってしまってはさすがに生きていけませんが、現代社会において、ちゃんと職を得て働きさえすれば、家族や友人はいなくても生きていけます。家族や友人なんてものは究極的には生体の維持に必ずしも必要とは言えない、二次代謝産物でしかないのです。無論今の僕は家族なしでは生きていけませんが、職を得れば一人で生きていけると言えるでしょう。

 

でも二次代謝産物があった方がいいように、自分以外の人間の視点も、あった方が良いことに、一昨日ようやく気付きました。

少なくとも、頭のいい人と友達付き合いをすることはとてもプラスになることが分かりました。

親が入学などの節目に、「頭のいい奴と友達になれ」とよく言っていました。その意味が、ようやく分かりました。

今までの僕は、友達付き合いに対して否定的でした。高校は比較的バカが集まる高校だったので、会話中のふとした瞬間に生徒・教師を問わず「こいつは本質が見えていないな」と思い、興が冷めることも少なくありませんでした。

別に自分が真実を見定める目を持っているとは思いませんが、少なくともあの高校にいた彼らよりは正しく物事を捉えていると、僕は本気で思っています。

しかし今所属している東京理科大学は、世間的に見れば頭のいい方らしく、確かに生徒・教師の大半が、ある面において物事の本質を正確に捉えることができそうです。

そういう人たちと友達付き合いをすることは、視点の拡張に大いに役立ちます。

大学入学した頃は僕も捻くれていたので、理科大もこの程度かなどと思っていましたが、その時の僕はバカだったのでしょう。いや今も2科目落とすくらいバカなんですけど。

でも、ここでなら、僕も友達を作っていいのかもしれないと、少し思いました。

互いが独立した強さを持っていて、依存関係に陥らないのであれば、2人で、あるいはそれ以上で歩いたほうが、より早く本質を見つけることができるのでしょう。

 

とまあ、ここで終わればきれいな終わり方だったんでしょうけど……。

一人で歩くより二人で歩いたほうがいいなんて法則は、理屈では受け入れられても感覚では受け入れがたいものがあります。

だって、20年以上、ここまでずっと一人で歩いてきたんですよ。家族に悩みを打ち明けたこともありましたけど、多分ほとんど打ち明けていませんし。

で、40代半ばくらいで過労死か何かで死ぬという人生計画を立てると、まさに人生の半分が間違いであったということになります。

そんな残酷すぎる事実を、はいそうですかと受け入れることはできません。

誰が自らの半生を無意味だと判定することに無抵抗でいられるでしょうか。

それこそ欅坂46並みに「僕は嫌だ!」と叫びたいまであります。去年の紅白でたまたま見ました。

まぁそんなわけで、今そこはかとない絶望感に打ちひしがれているんですよね。やっぱり一人で歩くことは間違いだったのでしょうか。ずっと信じ続けてきた信念が、新年早々揺らいでいるわけです。わぁなんてつまらないダジャレなのかしら。

松前藩主の名刺開発日記33

お久しぶりですどうも松前です良いお年を。もう2日しかないのに、誰がこの一年を良い年にできるのでしょう。年末ジャンボ当たったら良い年になりそう。

 

久しぶりにブログに戻ってまいりました。あまりにも久しぶりすぎてブログを書いていたころの感覚が戻ってきません。手がなかなか進みません。

とりあえず、名刺後編ですが……

全く作っていません!

この1年が恐ろしく忙しすぎて、物語を作る暇は一切ありませんでした。

多分、ちゃんと計画的に作れる人なら、忙しい中でも少しずつ進められるのでしょう。しかし僕には計画性はありませんので、ある程度まとまった時間がないと作れないのです。

あとは単純にモチベーションの問題ですかね。今年の2月から4月を丸々捧げて、半ば心を病みながらも作り上げたあの作品は、誰にも刺さっていなかったようで。

加えて、名刺を考案した時は、敬愛するKeyがサマポケを出して少し経ったくらいで、個人的にはもうKeyが新作を出すことはないと読んでいました。しかし最近また新作を出すみたいで、自分よりすごい人たちが、自分の言いたいことを代弁してくれるのなら、自分はもう何も言わなくていいかなと思ってしまうのです。

 

ただ一方で、自分が抱える壮大でちっぽけな無力感や諦念感は、僕にしか表現できないという考えもまた強くなってきました。これは以前にこのブログで書いたことかもしれませんが、表現の才能のある人が才能がないという思いを表現することは、さながらお金持ちが貧乏のフリをするようです。本当に才能がない僕としては、諸手を挙げて賛同することができません。無力感や諦念感を実にうまく表現してしまうからこそ、その表現がやや嘘くさく感じてしまうのです。

本当に才能がないことの苦しみというものがどの程度なのか、皆さんは絶対に知りません。なぜなら無能の作った無価値な作品は市場に乗らないからです。だから僕は、その苦しみをせめてほんのわずかな人に届けてみたいです。

来年から卒業研究が始まりますが、やる気と時間があるようなら、もしかしたら後編を作るかもしれません。まぁ多分どちらもないんでしょうけど。

 

では、なぜこのタイミングでこのブログに戻ってきたのか。

1つは単純に、今年も終わりなので、始めに作ったこのブログにもう一度アクセスしてみようと思っただけです。

もう1つは、ここが僕の新たな長文投稿場になるかもしれないからです。

突然ですが、僕の中には中間学年が一番楽しい説があります。

例えば小学校なら3,4年。中学、高校なら2年が一番楽しかったです。

大学は4年あり、3では割り切れませんが、48月あると考えれば、中間の16か月が最も楽しい期間になるわけです。実際ここ一年は結構楽しかったです。

しかし中間の16か月が終わり、最後の16か月が始まります。というよりもう始まっていましたね。

それぞれのステージを3段階に分けたときに、その最後の段階、小学校なら5,6年、中学高校なら3年は、僕にとっては辛い時期でした。小学校の頃は5,6年で最もいじめが激化し、中学も3年は生徒だけでなく教師にまでいじめられる始末で、高校3年はいじめはありませんでしたが受験のプレッシャーで日々が辛かったです。

大学も、これから辛い時期になるのでしょう。まさにこの前、幸せの中に潜むわずかな綻びが、見えた気がしたのです。

その辛さを、今まで通りの場所に吐露できない可能性が、少し見えました。

なので保険をかけて、いまここに戻ってきました。ここなら誰も見ていないですからね。一時期は一日で100アクセスくらい稼ぎましたが、その不気味な取り巻きもさすがに今は見ていないでしょう。

ということで、もしかしたらブログの更新が、細々と行われるかもしれません。

久しぶりにブログを書いたら疲れました。それでは来年で。

松前藩主の名刺開発日記(案内)

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ネタバレなどに気を遣う方は、ぜひこの機能をご活用ください。

開発日記はゲーム開発期間に不定期に書いた日記で

あとがきはゲーム公開に併せて後悔したルートの裏話みたいなものです。

それでは、心ゆくまで。

松前藩主の名刺開発後記(八木編)

【ネタバレ注意】

 
本記事では名刺前編の八木ルートについての開発後記を書いていきます。

ゲームクリア後に閲覧することお勧めします。

八木ルートの一部について、以下の記事でざっくり触れています。

よろしければそちらも見ていただければ。

でも俺の欲しかったさつまいもスティックはどこにもなかったね。

 

松前藩主の名刺開発日記28 - 松前藩主の名刺開発日記

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松前藩主の名刺開発後記(村松編)

【ネタバレ注意】

 

本記事では名刺前編の村松ルートについての開発後記を書いていきます。

ゲームクリアはまだでも、村松ルートをクリアした段階で見ていただいて構いません。

 

と言っても以下の記事で、ネタバレなしverでざっくりとした解説をしていたので……あまり書くことはないのかなと思います。

なのでまず以下の記事を見てください。

全体概観と言っていること違いますけど気にしないでください。僕には舌が二枚あるのです。

 

松前藩主の名刺開発日記19 - 松前藩主の名刺開発日記

 

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松前藩主の名刺開発後記(前編全体概観)

【ネタバレ注意】

 

初めまして、あのくっそくだらない作品を作った本人の松前藩主です。生まれも育ちも神奈川県です。

 

この記事を見ているということは、既に全ルートをクリアしたということでしょうか。

正直大したネタバレはありませんが、先入観をなるべく排除して作品をプレイしたい方は、まだこの記事は見ない方が良いと思います。

 

高校生の頃に学年通信というものを作ったことがありますが、僕はその内容より最後にある編集後記に力を入れるような人です。

ということで今回もつらつらと気の向くままに開発後記を書こうと思います。

無駄に長いくせに中身のない拙文ですが、よろしければ最後までお付き合いいただければ幸いです。

まああのゲームを完クリした時点であなたは相当すごいですから、多分この記事も読み切れるはず!

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