松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

一人になっても歩くんだ

2020年が始まりました。この1年は社会にとって激動の一年となりそうですが、僕は以前と変わらずにブログを書いていきます。

 

これタイトルどうしようかな……名刺開発をしていないのに名刺開発日記と書くのはどうかと思うので変えたいとは思うのですが現状何も思い浮かばないので、しばらくこの名前を使い続けようと思います。

 

現在こちらは期末試験の真っ最中なのですが、今期は見事に爆死しそうな予感がしています。

原因は何となく分かります。危機感の喪失です。

そして、その危機感の喪失の原因は、自分の選択に対して必要な要素がほとんど揃ったことにあると思います。

例えるなら、センター試験で9割取れたから基本どこでも入れると思って二次対策に手を抜く受験生みたいな感じです。こんな考えしてるから浪人するんですね。

ただ一昨日にようやく危機感が生まれてきました。僕は向上心がないので、いい点を取りたいという考えではなく、悪い点を取りたくないという考えで勉強します。

だから悪くない点数が保証された場合、僕は勉強しなくなります。

実際まともに勉強せず3科目ほど受けて2科目ヤバいことになりました。

そこでようやく危機感が生まれ、勉強しなければと思いました。

 

加えてこの危機感をいい意味で更に助長してくれたのが、友人の存在です。

一昨日に友人が僕の部屋に来て一緒に勉強会をしたのですが、そこで気づかされたのは、一人の視野では限界があるということです。

同じ授業の資料を見て、僕は何も思わずにスルーした点を、彼は問題として取り上げ、しかもそれがなかなか難しい。スルーするほど簡単なはずなのに、いざ真面目に考えると意外と分からないものです。

自分一人では気付かず、彼がいたからこそ見えた景色が、確実にありました。

今になって考えれば、世界というとてつもなく大きいものをたった一人の視点だけで見たところで、ほんの一部しか明らかになりません。

だからどこの国にもトップのすぐ下には何とか大臣がいて、その大臣の下にはたくさんの人がいて、そうしてようやく一国の現状を把握するわけです。

会社も同様に、社長の下には幹部陣がいて、その下にはいくつもの部があって、その下に課があって……という、視点の層状構造のようなものを作って、会社を回していくわけです。

そうしてたくさんの視点を持った国や社会ですら滅びゆくのに、たった一人の視点だけで世間を渡っていくことなど不可能に近いのでしょう。

 

それでも僕は、これまでずっと、人間は一人でも生きていけると思っていました。

突然話は変わりますけど、智代アフターのエンディング曲「Life is like a melody」がすごく好きなんですよね。原曲もいいですが、麻枝准さんが曲を作ってひょんさんが歌うユニット「Satsubatsu Kids」verが壮大すぎて、泣けるくらい好きです。

http://key.soundslabel.com/satsubatsu_kids/

この曲の1サビの歌詞「一人で僕らは歩けるか 誰もいなくなってそれでも」と

再サビの歌詞「一人になっても歩くんだ 誰もいなくなってそれでも」

を聞くたびに、僕は一人でも生きていくんだという決意を固めていました。

同時に、必要以上に集団に帰属し、依存する人は弱いと思っていました。二人の足を縛って二人三脚で歩くより、一人で歩いたほうが早いのは自明でしょう。

もちろん世界に一人ぼっちになってしまってはさすがに生きていけませんが、現代社会において、ちゃんと職を得て働きさえすれば、家族や友人はいなくても生きていけます。家族や友人なんてものは究極的には生体の維持に必ずしも必要とは言えない、二次代謝産物でしかないのです。無論今の僕は家族なしでは生きていけませんが、職を得れば一人で生きていけると言えるでしょう。

 

でも二次代謝産物があった方がいいように、自分以外の人間の視点も、あった方が良いことに、一昨日ようやく気付きました。

少なくとも、頭のいい人と友達付き合いをすることはとてもプラスになることが分かりました。

親が入学などの節目に、「頭のいい奴と友達になれ」とよく言っていました。その意味が、ようやく分かりました。

今までの僕は、友達付き合いに対して否定的でした。高校は比較的バカが集まる高校だったので、会話中のふとした瞬間に生徒・教師を問わず「こいつは本質が見えていないな」と思い、興が冷めることも少なくありませんでした。

別に自分が真実を見定める目を持っているとは思いませんが、少なくともあの高校にいた彼らよりは正しく物事を捉えていると、僕は本気で思っています。

しかし今所属している東京理科大学は、世間的に見れば頭のいい方らしく、確かに生徒・教師の大半が、ある面において物事の本質を正確に捉えることができそうです。

そういう人たちと友達付き合いをすることは、視点の拡張に大いに役立ちます。

大学入学した頃は僕も捻くれていたので、理科大もこの程度かなどと思っていましたが、その時の僕はバカだったのでしょう。いや今も2科目落とすくらいバカなんですけど。

でも、ここでなら、僕も友達を作っていいのかもしれないと、少し思いました。

互いが独立した強さを持っていて、依存関係に陥らないのであれば、2人で、あるいはそれ以上で歩いたほうが、より早く本質を見つけることができるのでしょう。

 

とまあ、ここで終わればきれいな終わり方だったんでしょうけど……。

一人で歩くより二人で歩いたほうがいいなんて法則は、理屈では受け入れられても感覚では受け入れがたいものがあります。

だって、20年以上、ここまでずっと一人で歩いてきたんですよ。家族に悩みを打ち明けたこともありましたけど、多分ほとんど打ち明けていませんし。

で、40代半ばくらいで過労死か何かで死ぬという人生計画を立てると、まさに人生の半分が間違いであったということになります。

そんな残酷すぎる事実を、はいそうですかと受け入れることはできません。

誰が自らの半生を無意味だと判定することに無抵抗でいられるでしょうか。

それこそ欅坂46並みに「僕は嫌だ!」と叫びたいまであります。去年の紅白でたまたま見ました。

まぁそんなわけで、今そこはかとない絶望感に打ちひしがれているんですよね。やっぱり一人で歩くことは間違いだったのでしょうか。ずっと信じ続けてきた信念が、新年早々揺らいでいるわけです。わぁなんてつまらないダジャレなのかしら。