松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

あれから1年

 ちょうど一年前、こんな記事を書いていました。訳あって非公開設定にしたままでしたが、いまさらなので公開します。

matsumaehansyu.hatenablog.com

 

 「あまりこんなことを言ってはいけないのですが、僕は卒業研究に対してさほど頑張ろうという気はありません。

一年前の自分は、こんなことを書いていました。確かに当時はまだコロナ以前の世界でしたので、きついコアタイム、非難飛び交うゼミ、不安定な人間関係が念頭にあって、とてもやる気が起きなかったのです。

しかしコロナがすべてを吹き飛ばしました。

コアタイム制は崩壊し、ゼミはオンラインのせいか緩やかになり、世界があまりにも不安定になったおかげで、人間関係が些末な問題に成りさがりました。

ラボが再開してからは、三密の回避という名目で、実験量を個人でコントロールできる(やる気と実験量が正確に比例する)ようになりました。

一方、やる気に関しては日が経つほどに上がっていきました。正確には、あれはやる気というより、焦燥感と呼べるようなものでしたが。

ただでさえ最初の2か月が失われ、加えて自らの才能のなさを自覚していた僕は、とにかく実験しなければ、何も結果が出ず卒論が書けなくなると思っていたのです。実際に、ラボが再開してからしばらく結果が全く出ず、焦燥感が増大していきました。

結果が足りないという焦燥感はその後、卒論を書き終わるまで続きました。

気づいたら僕は、「結果を出さなければならない」と思い込んでいたのです。

一年前の僕は、結果が出れば御の字くらいだと、思っていたというのに。

自分を忘れるほどの強烈な焦燥感で、自らを騙していたのです。

 

この一年間、一年前の頑張らない宣言とは裏腹に、随分と、身の丈に合わないほど、頑張ってきました。

それは前出の焦燥感もそうですが、正直に言って同期がほとんど優秀でないからこそ、自分が頑張らなければならないという使命感もありました。

また、自分の直属の上司にあたる人があまりにも優秀すぎて、常に比較され続けるからこそ、頑張らなければならないというプレッシャーもありました。

ポジティブな感情としては、自分の予想を上回って面白い結果が出てきて、研究そのものが楽しくなったこともあります。

特に、なんだかんだ楽しかったことが、この一年間頑張ってきた理由なのかもしれません。

ただ年明けからは、その頑張ろうという気持ちがマイナスに働いてしまっていました。

年末にプログレスをして浮かんだ問題を一刻も早く解消しなければならない、卒論も書き進めないといけない、卒研発表も作って、学会の準備もして、新メンバーのトレーニングにも人一倍参加して、更にはここではまだ言えない実験の話もあって、この3か月は体力と精神を摩耗し続けていました。命を削ったとさえ言えます。

で、これまた希死念慮的な発想で、過労死するなら本望とでも言わんばかりに、命を削る感覚に一抹の喜びさえ見出していたので、体調を崩そうが成し遂げてやると思っていました。

そして上記の全てのタスクが終わり、このブログを見返して、一年前の記事を見つけました。

もともとは、一年前のこの記事を書いていた僕が、本当の僕なのです。

努力は報われないと諦め、頑張るやつらを鼻で笑い、自分は適当に物事を済ます。常に集団の後方に位置し、あまつさえそれを離れて一人で自分の道を行くような身勝手な人間なのです。

本当は頑張らない人間だったのに、上記のような様々な要素によって、この一年間は不釣り合いに頑張りました。同期を引っ張ってきたという自負も、あります。

でもさすがに疲れました。似合わないことをして、無理をしました。

頼りない同期も少しは成長し、結果も残しました。

この一年間は、僕が頑張ってきました。

なら次の一年は、他の人に頑張ってもらいましょう。

僕は一年ぶりに、本当の僕に戻ることにします。