松前藩主の名刺開発日記3
セーブロードの設定は後回しにして本編制作中。
これはこれで一筋縄では行かないのです。
一応大まかな話の流れとかはメモや頭の中で作っていますが、基本的にぶっつけ本番で書いているのでなかなか進まないですね。
しかも出だしってとても重要ですよね。作品の最初でキャッチできなければその先にどれだけいいお話があっても見てくれません。
だから始めの数場面で”この作品はもしかしたら面白いかもしれない”と思わせないといけないわけです。
ただでさえ面白いことを書くことが苦手なのに、ハードルが高いです。
もっと言ってしまえば、自分に文章力がないことは知っているのです。
酷いときは今でもです・ます調とだ・である調を混在させますからね。
いい大人になってこんなことができないのは恐らく自分だけでしょう。
こうした点を鑑みると、そもそも僕には才能がないのです。
では、なぜノベルゲームなんかに手を出してしまったのか。
それは、それこそ、才能がないって辛いなぁって話を作ってみたかったからです。
時々、才能の不平等を嘆く歌とかを耳にしますが、その曲や詞を作った人は紛れもなく才能がある人ですよね。普通の人に曲や詞は作れません。
才能のある人が、”才能がない”と叫ぶのは何か違う気がするんですよね。
持つ者が持たざる者の代弁者のフリをして、自らを被害者のように騙る。
そんな人たちが、本当に才能がないことの辛さを表現できるわけないでしょう。
そこで、文章力の欠片もない僕が、真に才能のないやつってのはどんなやつかを見せつけてやろうっていうのが、名刺製作の理由の1つです。
まあ、本当に才能がない人が作品を作れば、それは確実に面白くないわけで。
そんな作品をプレイする暇人は恐らく日本中探してもいないでしょうから、僕の作品は絶対に世間様の目を浴びることはないのです。
じゃあ結局、真に才能がないってどういうことか見せつけてやるという目的は果たせないじゃないか。
その通りです。
こうした矛盾一つ解決することができないのもまた、僕に才能がないことを示す証拠のの1つなのです。
話は変わりますが、昨日スキーに行く行かないみたいな話を書きましたが
誤解?が無事解けました。良かったです。
今シーズンはたぶん行かないのですが、来シーズンは行くかもしれません。
誤解を解く方法は、散々誤解されてきた僕にとってはお手の物です。
体面もプライドも捨てて最も簡潔に事の本質を伝えてしまえばいいのです。
これで、相手に理解力や判断力が備わっていればほぼ一発で解決します。
ただ誤解というのは大抵、どちらかの理解力が大幅に欠如しているから起こるのです。
そういう時は……僕はさっさと諦めます。
大学入試対策の数学で、”解けない問題は放置してどんどん先に進むこと”が大事と教えられました。僕はその法則を忠実に守っているだけです。
誤解を解くメリットと、誤解を解くまでに使用するエネルギーを天秤にかけて、後者が重ければ誤解を解く道理もないでしょう。
なんなら僕の存在自体が誤りまである。
締めの一文これかよ……。