松前藩主の黒色Diary

タイトル通りです。松前藩主とかいうどこぞの馬の骨が、日々を黒(歴史)に染め上げていく日記です。

松前藩主の名刺開発日記29

あと3日で授業開始ですか、早いものですね。

それなのにこの土日は完成させようという気があまり起きなくて、ずっとダラダラしてしまいました。一応全体を通して軽くプレイして、いくつかバグ修正とテキスト修正はしましたが。

書けない……というより、今はやる気が起きてこない感じですね。

それは比較的何とかなる話ですので、あともう少しなので頑張ります。

 

最近の何人かの有名人を見て、「僕は絶対に人気者になりたくない」という思いが強くなっています。

何と言うか、人気者になると周囲が見えなくなって、自分と社会との相対位置を正確に測れなくなる気がします。

誰か(有名人)のファンというのは時に、その有名人の思想信条をほとんど肯定します。

で、有名になればなるほどファンが増えて、肯定する人が増えていく。

気づいたら、その人の周りは基本的にイエスマンで囲まれることになります。

別の表現をするなら、ファンが有名人を取り囲んで人壁を作るイメージです。

それで、壁に囲まれた有名人は壁の外側の景色を見(ることができ)なくなります。

そして壁の内側に存在する、自分が王様を務める楽園を見て満足してしまいます。

たくさんの味方を得た人間というのは往々にして増長します。

自分に異議を唱える人は(壁の中の)世界には誰もいなくて、自分の発言がそのまま規則になって正義になって賛同されて。

もはや独裁体制ですよね。自分こそがこの世界を回しているんだと錯覚し始めるわけです。

皆さんも思い当たりませんか? まるで自分こそ正義と信じ込んでいるような有名人。

僕の母が買っていた三流啓発本の作者がまさにこのパターンでしたね。

 

小さなコミュニティの長になった程度で世界を我が物にしたと思い込んでいるかわいそうな人たちだって、恐らく最初は正気だったはずなんです。

むしろ周りの人たちより正気というか、正しく社会を捉えていたからこそ、有名人といえる立場まで上り詰めることができたんです。

でも最初は批判を受けつつ前に進んでいた人も、有名になっていくにつれて批判より肯定の声が増えてきて、いつしか自分はすごい奴なんじゃないかと思い始めてしまうわけです。

しかもその正しさに自分の地位の高さという根拠が付いてしまうから、余計に自分には才能があると信じ込んでしまうわけです。

だからお山の大将気取りの有名人を必要以上に責めることはできません。

自ら世界を閉ざしたわけではないはずですから。

かといって世界を狭くする人壁たるファンにも、そこまでの罪はありません。

根本的に悪い人が誰もいないってのが、非常にたちが悪いですよね。

 

だから有名人になるのは怖いのです。

だから僕は有名人にはなりたくないのです。

このブログのアクセス解析とかで、1時間に数十アクセスとかされている状態を見ると、どちらかと言えば恐怖心に駆られます。

その恐怖心は有名人になる怖さだけで構成されているわけではないのですが。

とにかくあまり人に見られたくないんですよね。

なので名刺の公開はこのブログとLight.vnユーザーの有志が一堂に会している場所以外では一切告知しませんし、このブログがあまりにも大量にアクセスされるようであれば事前の告知なしに消去するか、はてなアカウントを破棄しようと考えています。

 

そもそも僕に人気者になるほどの才能はありませんけどねっ!